2018/03/17

【TVドラマ】『アンナチュラル』が素晴らしすぎた件

TBS金9ドラマ『アンナチュラル』が昨日最終回であった。
こちらはヒットメーカーの脚本家・野木亜紀子の作品。
“不自然な死”(アンナチュラル・デス)」の原因究明をするため死体を解剖する「法医解剖医」の集まる、UDIラボが舞台。くわしくは番組ホームページをご覧いただきたい。

ふだんドラマをほとんど見ない私がなぜこれだけは、録画してみようとおもったか。
理由は3つある。

1)推理小説ファンだから
 講談社文庫のパトリシア・コーンウェル「検屍官」シリーズを何冊読んだことか。
 法医学ときいて興味をもった。
2)一話完結
 連続ドラマとして、最終的な事件は続くのだが、毎回一つの謎は究明されるのでカタルシスが得られる。
 私がドラマが嫌いなのは、一話で終わらず引きずるのが嫌だからなのだ。
3)主題歌が米津玄師
 ドラマのクライマックスで流れる「lemon」は最高に胸にささる!

それはさておき、一話を見てこれは面白いと確信した。
人々の心理描写、UDIラボの個性あふれる魅力的なチーム、現代の社会問題への切り込み方、内容が濃くて目が離せない。張り巡らせた伏線が、のちにきれいに回収していく様は、ほんとに気持ちいい。
野木亜紀子氏の脚本、スタッフ、神!

主人公のミコト(石原さとみ)は、自身も実親に無理心中されて生き残ったという過去を持つ。
それでも里親に愛され、使命感を持って職務にあたっている。
どんなときでも食べる、朝から天丼をもりもり食べる。
過去に負けない、逞しさがいい。ミコトのセリフには何度も泣かされる。

実力経験ともに豊富な同僚の中堂も、また恋人を不審死でなくす過去を持つ。
彼女を殺した犯人究明が、ドラマ全体のゴールとなっていく。
中堂演じる井浦新の俺様感と切実さと狂気がいい。

それぞれのキャラクターが絶妙なバランスで、どの人もだいすきになる。
そして「lemon」が流れてさらに悶絶することになる。

みんなシリーズ2を熱望しているが、こんなすごいドラマ簡単にできないよ。
2年でも3年でも待ちますのでよろしくお願いします。

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2017/03/24

「秒速5センチメートル」は缶の飴だとおもった。

新海誠監督の2007年の作品「秒速5センチメートル」をみた。
各20分ほどの3本の連作短編アニメーションで、花びらが舞い散る速度という意味と、二人の思い出の日が3月4日であることから、3月に放映したTV局のセンスはナイス。

これは遠野貴樹という男の子のずっと忘れられない思い出に縛られてる片思いの記録だ。
ストーリーもいろんな感想もたくさん出ていて、「素晴らしい」、「泣ける」から、「きもい」、「ヘタレ男子」まで受け取り方がさまざま。

わたしは、うつくしいと思った。
その愚かでまっすぐで純粋な恋心が。
本人は、苦しくて気がついてなくてもがいたままだけど。
それを過去に手放したものから見ると、懐かしくて、すっぱくて、切なくて、きれいだ。

物語の世界では、貴樹をそのまま縛り付けていられる。
でも現実に生きている貴樹は、秒速5センチメートルくらいの速度でも、変わっていくだろう。
いろんな失敗から学ぶんだろう。

思い出は、いつか飴になる。
思い付いたとき、缶からころっと掌に取り出して、ほうばってなめるんだ。
それはバカみたいにすっぱくて甘いんだ。
でもやがてとけてなくなる。

飴をもってるのがうれしいんだ。
きもいといわれようと関係ない。
大事な思い出は、捨てなくたっていいでしょ。
自分は女だから、男の子もこんなふうな思いを持っているんだということがなんか嬉しかった。
そしてこの作品が、アジアのみならず、イタリアの映画祭で賞をとったことも。

秒速5センチメートル 予告編

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2017/02/08

【映画】「人生フルーツ」鑑賞

「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画がよい、と耳にして調べてみると東京でも2館しかやっていない。
日の出町と東中野だ。

ポレポレ東中野の映画館のサイトをみても、予約システムはなさそうなので、先週の土曜日にとりあえず向かってみた。
入り口に(補助席ふくめ)「完売です」と赤字で書いてあった。がーん! 座席数も多くないようで、当日に当日1日分の切符を買う(受付をする)珍しい仕組み。100席くらいだろうか。
係りの人に聞くと、1時間くらい前に並んでいただくと、おはいりいただけるとのこと。
夜21:00の回ならまだ空いてるといわれるが、現在時刻は16:05である。あきらめた。

そして本日、リベンジに。
作戦はこうだ。
まず午前中に、チケットをゲットする。その後ランチ、パソボラに行き、16:00前に切り上げて、ポレポレ東中野へ駆けつける。予約番号は1番だった。よっしゃ。
16:30の開始の回は、15分前から受付番号順によばれて入場、全席自由。
はやい受付番号でも、遅くいったら、補助席の可能性もあるのでドキドキした。

そこまでして行った価値があったか。
YES.あったと言えよう。

人生フルーツ公式サイト
あらすじなどはこちらで。

90歳の津端修一(つばたしゅういち)さん、87歳の英子(ひでこ)さん。
まあ、二人ともよく動く動く。庭仕事、畑仕事、台所仕事、一日中立ち仕事で働いている。
庭や畑、家の中も、愛らしい手作りのものがたくさんあって、心が和む。
お2人がとてもチャーミング。
とくにしゅういちさん!

彼女はぼくの最高のガールフレンド
90歳でこんなこと言える?  いつものように夕食を食べた後、きちんと「おいしかった」と言える? 妻に対して、思いやりがある方だなぁとうっとり。 もちろん英子さんも、全部修一さんがいいと思うように、何でもやって、それが自分の幸せにつながる、と。

そしてなんどとなく繰り返されることば。

ゆっくり、コツコツと

建築家の修一さんが、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画にかかわり、自然と共生する設計をしたのに、土地をめいっぱいつかうびっしり乱立した、画一的な住宅建築へと舵を切らされた。

その忸怩たる思いが、おなじニュータウンの一角に300坪の土地を買って、木造平屋の家を建てさせた。
山の中でなく、造成地の中で、雑木林と畑でぬくもりのある土地に変えた事。
これは修一さんの反旗だったのだと思う。
穏やかで静かな反旗。

裏山にどんぐりを1万株植えて、はげ山が緑の山になったこと。
何十年も育てている果樹にたくさんの実りがなること。
落ち葉を蒔いて、肥料にしてること。
時間をかけて、コツコツ続けていく生活。営み。

二人のドキュメンタリーで終わりと思いきや、思いがけない展開もこの映画に描かれていた。
それはここでは言えない。
あまりに崇高すぎて。

この映画を見て思った事は、人生の楽しみは、作ることだと。
自分の手で作った物が、生活の楽しみになり、潤いになり、豊かなものにするのだ。
今までの自分の暮らしを振り返ってもそうだった。
料理でも、縫物でも、編み物でも、工作でも。

早いこと、簡単なことが良しとされる現代社会に、心が貧しいのは、自分で何も作ってないからだと思うのだ。
美味しそうに見えるコンビニ弁当の夕飯はなぜ物足りないのか?
なんでもかんでもGoogleで調べて、なぜ自分の頭で考えないのか?

それはたぶん、時間がないから、簡単だから、失敗しないから。

時間がかかること、手間のかかることが、「こつこつ、ゆっくり」の正体だ。
失敗したり、後戻りしたり、迷う時間もそこには入ってるはず。

心の栄養は、時間も手間もかかるのが当然だ。
だって、いちばん大切なものだもの。

ほんとはみんなわかってる。
でも面倒くさいお化けが背中に張り付いてるんだ。
「面倒くさい」は、一番楽しみを奪うことばだと思う。

あとね、みんな疲れている。
理想の生活を夢見ても、ため息しかでないんだろう。
だから、できることから、ゆっくり、こつこつと、なんだよね。
心には、最高の栄養をあげよう。
そんなふうに思った。

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2012/03/18

日曜美術館 ゆるむ・ひらく・アートの旅~青森編~

日曜朝9時からのEテレ日曜美術館をいつも楽しみにしているが、今日は特別編だった。

ゆるむ・ひらく・アートの旅~青森編~と題し、雪の青森へ須藤元気さんと水野美紀さんが2つの美術館を訪れた特集。

なぜ青森? なぜ真冬? と思った謎は見ているとまもなく解ける。屋外の彫像は雪をまとったときに、別の表情をみせてくれる。

須藤元気さんは、青森県立美術館で、まずはシャガールの舞台絵なるものに対面する。
舞台の背景に掲げられる幕のような布に描かれた大きな作品が、三面に展示されたひろびろとした部屋。
馬や浮遊する人物など、夢の中の世界。
須藤さんは、「頭で考えて描いてない」と感想をもらす。

シャガールの絵は、細かいつじつまなんてまったく合ってない。だから夢をまるごと写しとったような感覚が生まれる。包み込んで、ひっぱって、不思議な世界に引き込まれる。

もうひとつの印象的な作品は、奈良美智の「あおもり犬」。青森県立美術館に写真がある
これが屋外に設置された効果は、真冬に浮かび上がってくる。
足元に、うなだれた頭に、こんもりと雪が積もって、じっと耐えているような、それでもそれを乗り越えて達観しているような表情になる。
まるで傘地蔵を思わせ、おもわず手を合わせるご老人もいるらしい。半眼の表情も、なにかを背負っている姿勢も、雪をかぶった姿をみたら、おもわずうなるものがあった。
作家はこの犬が雪を抱くことを想定していたんだろうか。いや雪がなくても、青森に暮らすことを形で表したのかもしれない。そこに雪が加わってさらに作品に輝きをもたらしたかのような。

女優の水野美紀さんが訪れたのは、全国からファンが訪れるという十和田市現代美術館。エントランスの4mの女性像が見下ろしてくる。
「ザンプランド」という作品をつくったアーティストの栗林隆氏がメンテナンスのため、訪れていてお話を聞けた。
栗林氏は、「ボーダー」を自分の中のテーマにしており、こちらの作品も、下の真っ白い部屋から、椅子に上って見る湿地帯のコントラストが鮮やかなふたつの世界を表している。
美術館のサイトでも、湿地帯の写真は出してないのであまり書くのは遠慮しておこう。
みてるこちらも、「おー!」となる。

水野さんは、「自分の感覚をぎゅぎゅっと押してくれる、広げてくれる」という感想を話していた。

はっとさせられたり、自分の常識をひっくり返してくれたり、アートと出会う楽しみは、たしかに「刺激」という要素はあるなと思う。
わたくし事だが、一見、不可解なものを見せられた時、最初は感性で見るのだが、だんだん意味を求めてしまうことがある。意味が見つかると安心しているんだろう。意味がわからないと気持ち悪くて、なぜわからないのかがきになったりする。

「考えるな。感じよ!」と言ったのはブルース・リーだったか。

けっきょくは、意味が見つからないと、=わからないと認めることになって、そこからまた感性で見ることにもどる。
言葉のない世界に自分を浮かべてみる。
先のシャガールは、そうとらえているような気がする。

わからないまま、とおりすぎるのもありなんだろう。時間がたつと変わるものもあるかも。
今の自分のフィルターで見てるから、ひっかかるものはそのときによって違う。
味覚も変わっていくように、好きなもの、見えるものも変わるのかもしれない。

作品と対話する楽しみ、わたしもアートの旅を続けていきたいと思った。

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2012/03/09

読書ノート 『なぜ君は絶望と闘えたのか』

1999年山口県光市で起きた当時18歳1ヶ月の少年による凶悪な殺人事件が、2012年2月最高裁により死刑判決が確定した。久しぶりにTVで会見する本村氏のゆるぎない姿に改めて、事件を振り返りたくなった。

ずっと前に録画していた、WOWOWドラマW「なぜ君は絶望と闘えたのか」を見る。前編、後編と長くてずっとみそびれていて、前編だけでもと思ったら、ちょっと倍速にしつつ全部みてしまった。
これは光市母子殺害事件をもとにした、同名のノンフィクション小説をドラマ化したもの。登場人物は全部仮名におきかわっているが、それ以外は事実に則したものとなっている。

ニュースやインタビューで見る本村さん(ドラマでは町田さん)は、いつも自分の考えを明確に話せる強い人という印象があったが、やはり何度も死のうと思ったり、仕事もやめようと思ったり、妻との思い出の曲を街中で聞いて、号泣してしまうような方だった。
彼の勇気ある「いまの司法はおかしい」という発言は、被害者や被害者家族の立場がないがしろにされている問題を明らかにして、政府をも動かした。そしてその行動が、多くの支援者をも動かした。

また、このドラマで、ずっと寄り添って取材をした記者(原作本作者)と本村さんとの交流が印象的だった。本村さんは、山口市に住んでいて、実家は北九州。記者は東京にいるが、何度も取材して、励まして、心を開いて話を引き出している。この話は、事件が起こった1999年に起訴があり、2008年死刑判決(その後上告)まで9年ほどひとつの事件を追いかけている。記者、というもの、ノンフィクションライターはそういうものだ、と言われてしまえばその通りなのだが、プロフェッショナル魂には舌を巻く。

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このドラマの原作が、門田隆将氏『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』新潮社2008。
プロローグは、本村さんが記者に「絶対に殺します・・・」とつぶやいたシーンから。
わたしがこの事件と、本村さんを知ったのが、TVの報道で、「(少年法によって司法が死刑にしないのなら、)わたしが殺します」と言ったのを目の当たりにしたときだったからだ。彼の主張は真っ当で、同じ立場だったらわたしもそう思う。そのショックの大きさは想像もできない。彼が辞表をかいたり、自殺しようとした気持ちも痛いほど伝わる。

本村さんは多くの人たちに支えられて、絶望と闘った。でもそれは、本村さん自身が「信念」という太くて高い柱を立て、掲げ続けた結果だと思う。その旗印に、全国犯罪被害者の会が集い、政治や司法を動かし、「犯罪被害者等基本法」ができた。
被害者や遺族がすべて本村さんのように動けるわけではない。でも、その被害者や遺族の生きる道ひとつの道を示してくれた。何ができるか、考え続け、あきらめなかった信念の輝きはまぶしい。

本は、ドラマでは省略されているところが、細かくレポートされていて判決文などもきちんと掲載されている。
ドラマは、記者と町田さんの絆が強くでているが、本の中では記者(作者)はほぼ黒子に徹している。

作者は、犯人のもと少年にも面会して様子の変化も書いている。死刑宣告を受けなければ、この変化はなかったのかどうか。少年犯罪、死刑の是非、いろんなものへの問題提起をした、本作品は渾身の記録だと感じた。


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2012/01/15

映画「ソーシャルネットワーク」

いまさらですが、見ました。WOWOWでやってたのを録画して。
公開当時はFacebook(FB)もやってなかったし、それほど興味がなかったけれど、今はすっかり毎日楽しんでいるのでこの映画への興味もわいてきたのだった。

Wikipediaから引用すると、

『ソーシャル・ネットワーク』(原題: The Social Network)は、2010年のアメリカ映画。SNSサイトのFacebookを創設したマーク・ザッカーバーグらを描いたドラマ映画である。

ハーバード大学2年生のマークが、彼女にふられたのをきっかけに女子学生の顔写真を勝手にあつめてランク付けするサイトを立ち上げ、それがFBへつながっていく。

まずマークのキャラクターがいかにもいかにもで受ける。どこへ行くにもチェックのネルシャツ、サンダル履き。
あまりに辛辣で、正直で、本質をついてしまうから、女子にも嫌われる。
プログラマーにむちゃありそうな気質で、「わかるわかるー」。

FBが大きくなるにつれ、いろんな利権がからんで、さまざまな人間が近づいてきて訴訟があって、FBを知らなくてもビジネスっていうものが大きくなる過程が実にわかりやすくて興味深い。

それにしてもなんにも手を動かさない人が、他人の才能を利用して、利益を生んでいく様は、見ていて震えがくる。
でもそういう人がいないと、ここまで大きくもならなかったのだろうね。
まあ、マーク自身も億万長者になれたから、それはよかったんだろうけど。

最後に自分がFBに感じてる魅力を書いておくと、発言への責任感が高い(どこのだれが書いてるかはっきりしている)、ブログやツイッター、Mixiなどあれこれの場を一か所に集約して閲覧、更新チェックでき、コメントもできるハブ機能として便利。(もっともブログやツイッターとの連携をしてなければできないけど、全部チェックする必要もない。だいたい、知らなくちゃいけないことって、そんなにないでしょう。)

日本人が設計すると、あれもこれも高機能にしたがるけど、海外の設計は、制限をつけてシンプルにさせるところが目をひく。ツイッターの140字もしかり、NOKIA携帯もしかり、iPadもしかり。
もちろん、一切ソーシャルネットワークに関わらないのもあり。シンプル。シンプルを自分の意思で選べるようになりたい。
そして、ネットに情報を流すと、取り戻せないことも重々再確認して、マナーをもって楽しみたいと思いました。
いじょ。


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2010/09/06

映画 「ジャージの二人」

休日、TVを独占できる時間帯があったので、とっておいたビデオを見た。
まったりした映画、と聞いていたので、いいかなーと思ったのだ。
まさに舞台は真夏で、都会の暑さを逃れ、軽井沢の山小屋ですごす時間を描いている。

「ジャージの二人」は親子、といっても、息子は30歳すぎの妻とぎくしゃくして会社もやめている。
父は浮世離れしたカメラマンらしい。
そこで過ごす時間は、ぼーとしたり、ファミコンをしたり、1日中ジャージでぐだぐだ過ごす。
全体の流れはゆるやかで、ときおり、誰かが訪ねてきたり、去ったりする。

息子は、ぼーとしながらも、どこかで気持ちの整理をつけていき、すこし前へ進む。

映画だからといって、あれこれ事件が起こらなくてもいいのだ。なんだろう、日常の自分たちは、たぶんこんな感じで、長い時間を無駄にしないとわからないこととか、できないこともあって。
それが等身大の人間の姿のような気がした。

何か起きるときって、固まってくる。1年に一回もないようなことが2つとか3つとか。
あれも不思議だ。
充電してるときは、しずかにじっとしてたり、かたつむりのように歩んでいいんだよ、といわれてるような気がした。

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2009/11/22

MICHAEL JACKSON'S THIS IS IT

すごいものを観た。
リアルな夢の世界だ。
わたしはマイケルのことを全くわかっていなかった。
いまならわかる。
彼を失ったことが、世界の宝の損失だったってことが。

わたしにとってのMJは一人のポップスターに過ぎなかった。
この映画は彼のロンドン公演のリハーサル映像で、スタッフとともに公演のために模索し、テストし、作り上げていくリアルな記録だ。
リハなのにスタッフが手拍子する。I love youと叫ぶ。音のセンス、リズム、ダンスのセンス、観客を最大限に惹きつけ魅了するための演出。
一流のスタッフが選ばれてるのはもちろん、実力の上の上を引き出すストイックさ。

なにより、世界中からオーディションを受けに来ている若いダンサーの中で、一番軽々しなやかに踊っていたマイケルの存在感に圧倒される。そしてそれを失ったことに衝撃を抑えながらスクリーンを凝視しつづけた。

彼の年齢が50を過ぎてるって?
どこか病んでるって?
Unbelievable!

彼の指先から出されるキューですべての音が始まり、終わる。このコンサートでは、彼がコンダクターなのだ。
しなやかな動き。リズムからダンスが生まれる。
プロデューサーが「教会だ!」「ロックの教会だ!」とつぶやく。
うまく行ったときに見せる、笑顔。彼は純粋だった。率直だった。
世界を愛していた。
人々を夢の未体験ゾーンに連れていくことを望み、それをやりとげようとしていた。

お金がなきゃこんなことできないけど、お金があるだけじゃこんなことできないよ。
ダンサーやギタリストや、ドラマーや、コーラスの人々の口ぐちにするマイケルと仕事ができて幸せ、というインタビュー、その他たくさんのスタッフが観たこともない最高のものを作ろうとしている姿が、胸をゆさぶる。
そしてその中心にいた、そう、ラピュタの飛行石みたいなマイケルの存在がまぶしくて、それを失ったショックにやっぱり涙なくしては観られないのだった。

※追記※
この映画で誰がどれだけ儲かるかとかは興味がない。
このロンドン公演のプロジェクトに参加した、スタッフ、ダンサーや特殊メーキャップスタッフとか、美術スタッフにちゃんとギャラが支払われ、彼らが次にまたもっとすごいものをクリエイトする糧になればいい。それが一番興味がある。

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2009/11/20

Mステ Superfly がよかったなー。

Cocolog_oekaki_2009_11_20_21_54

最近のココログ、絵が描けるんだよ。ぐしし。へんな絵描いてたまにのせよう。
なんか気晴らしになるし。へんほどいい感じ。

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2009/11/19

探偵X 「記憶のアリバイ」

今回は、何度も携帯サイトを見たり、ビデオも2回みたけどむずかしいよ。
(番組を見てない方はちんぷんかんぷんですね。ごめんなさい)

凶器の指紋から出た容疑者は4人。
そのうち、ホームレス寺山は記憶修正される前にいた場所から現場までの距離で、アリバイ成立。
酒屋配達員金村も、記憶の改ざんに必要な時間がないことから、シロ。

残るは、バーマスタ白川と、暴力団員立花。

白川には、隣のタイ風立ち飲み屋の証言があり、アリバイがあることがわかったのだけど・・・。
タイ風立ち飲み屋がうそを言ってたとしたら、アリバイはくずれる。
刑事がこの立ち飲み屋の記憶探査をしたら、うそかどうかわかるのかな。
あ、でも指紋はなかったね。立ち飲み屋のは。

うそを言う意味は、白川のアリバイ成立と同時に、自分のアリバイも成立するから。
ほんとに白川が犯行が始まってから終わるまでの間、隣の立ち飲み屋で飲んでいたら、記憶を改ざんする必要もないのだ。
それにしても場所が近すぎる。
ボトルを割るほどなら、かなり争ったようだ。すぐ隣の裏手なのだから、何か気付いて目撃していそう。
また、酔っ払いにかっとなって殺した、というのは、バーのマスターとしたらありえない。
何人殺してもタリナイダロウ。

白川も金村も自分でお金を出して、修正するなんてできない、修正した記憶もないという。
ということは、誰かにやらされた。やっぱり何かを見た可能性が高い。
また、被害者の財布が盗まれてないことから、金に困っている白川、金村、寺山には犯人像と合わない。

寺山が「ウィスキーのびん」とわかっていたことも、なんか気になる。それは明かされてたのかな?
ホームレスの寺山は、何度も修正やに行ってる。「小銭がたまると・・・」とうことから、修正料金はそんなに高くなりそう。前ふりの女性殺害など、見たくないものを見てしまうと消しにいくのかもしれない。

白川、金村は、「そんな金ない」ということから、高い印象を持っている。自分でお金をつかって利用したことがないように思える。

また、立花は、修正やと暴力団との密接な関係性、4:00から5:06の空白が非常に気になる。
修正前に自宅にいた記憶さえ、うそなら、立花のアリバイもくずれる。
立花の修正部分の時間が4時間10分と長いのも気になる。

いまのところ、犯人の可能性は、白川、タイ風立ち飲み屋、立花、の中にいそうだけどまだ絞りきれない。
白川は、自分の店のボトルなのだから指紋がつく正当な理由はある。

ミステリーの原則で、地の文でうそを言ってはいけない、というのがある。
「この4人の中に犯人はいる」、というのは信じていいのか?
それとも、それは刑事の言葉だから、うそかもしれないのか?

では、なぜ立花の指紋があったのか?
やっぱり立花は怪しい。でもこれはひっかけなのかもしれない。
うーん。

ほかのひとの意見もちょろみしてみよう。

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