【映画】「人生フルーツ」鑑賞
「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画がよい、と耳にして調べてみると東京でも2館しかやっていない。
日の出町と東中野だ。
ポレポレ東中野の映画館のサイトをみても、予約システムはなさそうなので、先週の土曜日にとりあえず向かってみた。
入り口に(補助席ふくめ)「完売です」と赤字で書いてあった。がーん! 座席数も多くないようで、当日に当日1日分の切符を買う(受付をする)珍しい仕組み。100席くらいだろうか。
係りの人に聞くと、1時間くらい前に並んでいただくと、おはいりいただけるとのこと。
夜21:00の回ならまだ空いてるといわれるが、現在時刻は16:05である。あきらめた。
そして本日、リベンジに。
作戦はこうだ。
まず午前中に、チケットをゲットする。その後ランチ、パソボラに行き、16:00前に切り上げて、ポレポレ東中野へ駆けつける。予約番号は1番だった。よっしゃ。
16:30の開始の回は、15分前から受付番号順によばれて入場、全席自由。
はやい受付番号でも、遅くいったら、補助席の可能性もあるのでドキドキした。
そこまでして行った価値があったか。
YES.あったと言えよう。
人生フルーツ公式サイト
あらすじなどはこちらで。
90歳の津端修一(つばたしゅういち)さん、87歳の英子(ひでこ)さん。
まあ、二人ともよく動く動く。庭仕事、畑仕事、台所仕事、一日中立ち仕事で働いている。
庭や畑、家の中も、愛らしい手作りのものがたくさんあって、心が和む。
お2人がとてもチャーミング。
とくにしゅういちさん!
彼女はぼくの最高のガールフレンド90歳でこんなこと言える? いつものように夕食を食べた後、きちんと「おいしかった」と言える? 妻に対して、思いやりがある方だなぁとうっとり。 もちろん英子さんも、全部修一さんがいいと思うように、何でもやって、それが自分の幸せにつながる、と。
そしてなんどとなく繰り返されることば。
ゆっくり、コツコツと
建築家の修一さんが、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画にかかわり、自然と共生する設計をしたのに、土地をめいっぱいつかうびっしり乱立した、画一的な住宅建築へと舵を切らされた。
その忸怩たる思いが、おなじニュータウンの一角に300坪の土地を買って、木造平屋の家を建てさせた。
山の中でなく、造成地の中で、雑木林と畑でぬくもりのある土地に変えた事。
これは修一さんの反旗だったのだと思う。
穏やかで静かな反旗。
裏山にどんぐりを1万株植えて、はげ山が緑の山になったこと。
何十年も育てている果樹にたくさんの実りがなること。
落ち葉を蒔いて、肥料にしてること。
時間をかけて、コツコツ続けていく生活。営み。
二人のドキュメンタリーで終わりと思いきや、思いがけない展開もこの映画に描かれていた。
それはここでは言えない。
あまりに崇高すぎて。
この映画を見て思った事は、人生の楽しみは、作ることだと。
自分の手で作った物が、生活の楽しみになり、潤いになり、豊かなものにするのだ。
今までの自分の暮らしを振り返ってもそうだった。
料理でも、縫物でも、編み物でも、工作でも。
早いこと、簡単なことが良しとされる現代社会に、心が貧しいのは、自分で何も作ってないからだと思うのだ。
美味しそうに見えるコンビニ弁当の夕飯はなぜ物足りないのか?
なんでもかんでもGoogleで調べて、なぜ自分の頭で考えないのか?
それはたぶん、時間がないから、簡単だから、失敗しないから。
時間がかかること、手間のかかることが、「こつこつ、ゆっくり」の正体だ。
失敗したり、後戻りしたり、迷う時間もそこには入ってるはず。
心の栄養は、時間も手間もかかるのが当然だ。
だって、いちばん大切なものだもの。
ほんとはみんなわかってる。
でも面倒くさいお化けが背中に張り付いてるんだ。
「面倒くさい」は、一番楽しみを奪うことばだと思う。
あとね、みんな疲れている。
理想の生活を夢見ても、ため息しかでないんだろう。
だから、できることから、ゆっくり、こつこつと、なんだよね。
心には、最高の栄養をあげよう。
そんなふうに思った。
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