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2016/05/06

被災地を往く-石巻訪問(2016/04/17)

東北合同五行歌会の次の日、17日は、バスで被災地を見学するツアーに参加した。
この体験を書かなくてはとずっと思っていたのに、書けないでいた。
五年経ってもこんな衝撃を受けるのに愕然とする。

観光バスに乗ったのは、五行歌人仲間の41名。石巻→大川小学校→雄勝→女川→牡鹿半島への旅。
石巻五行歌会のメンバーが、資料を作り、ガイドをしてくれた。
2011年3月11日午後2時46分に起きた津波により、石巻市の死者・行方不明者は3975人。

最初に訪れたのは、大川小学校。児童107人中74人が犠牲になり、教職員も13人中10人亡くなったと聞く。
校舎の一部が、残っていて、可愛らしい円形のデザインが、ねじれ、折れ曲がり、さびてたたずんでいる。
周りは荒涼としていて、お線香の香りが漂っていた。

すぐ裏に山もあったのに、我が子を失った親御さんの気持ちを考えると、涙があふれてくる。
霊感の強い人は、悪寒が止まらない様子。
遺産として残すか、見てるのが辛いから壊すか、検討されていると聞いていた。
現物をみて、「見るのが辛い」」気持ちが初めてわかった。
地元の五行歌人の仲間が、「写真は撮らないで」と念を押していたのがよくわかる。
ここは慰霊の場。祈る場所であった。

女川について、ふと我に返り、ようやくカメラを取り出す。
駅前はまだブルトーザーがある。
女川は堤防で津波を防げなかった体験から、防波堤を作らず、全体をかさ上げするまちづくりを選んだそうだ。
20160417_2


牡鹿郡女川町にある「高坂」、というかまぼこやさんへ寄り、ビデオとお話を聞く。
ここは、手前にあった線路が防波堤代わりになり、津波の被害をまぬがれた。
工場に、材料や、発電機や、大量の水のストックがあったため、かまぼこをくばったり、お水をタンクにいれて配ったりと、女川の支援に尽力されたと聞く。
工場の方が、避難先から撮影した映像も見せていただいた。
目の前の家や、車がぷかぷかとおもちゃのように、流されていく。
そう、『つなみのえほん』でくどうさんが描いた絵の動画が、そこにあった。
現実のことと思えない。悪夢のような映像だった。
高坂さんの心意気に感銘を受け、皆たくさんお土産を買った。

その後、雨風の吹き付ける中、「ニューこのり」というプレハブの食事処へ行き、うに丼やあなご天丼を楽しんだ。
あなご天丼は、生ものが苦手な人用のオプションだったが、活きあなごのでっかい天ぷらが乗っていて、うに丼組の一部は羨ましがった。(わたしもその一人)

その後、慶長使節船ミュージアムサン・ファン館へ。
あいにく船内はドック入りで観覧できず。ビデオ鑑賞と外から見学となり、帰路についた。

20160417

とにかく、最初に訪れた大川小学校の衝撃が大きすぎて、しばらくひきずってしまった。
皆で即詠をしたり、その後五行歌を書いたのだが、大川小学校をテーマにした歌が多かった。
ブログでは縦書きがうまくできないので、本家ウェブサイト、うたのしづくに入れておきます。

当事者でない歌を詠むということについて、いろいろ思いを巡らせてはいるけれど、当事者でなくても伝えたいことがある。たしかにある。それは見たものの役目なんだろう。ましてや表現者なら。
自分の見たもの、感じたものが溢れてきたら、書かないと苦しくなる。
苦しくて、でもうまく書けなくて、じりじりする。
稚拙でも吐き出した言葉は、魂の塊。

吐き出したい自分の欲望と、伝えたい、誰かに届けたい欲望と。
表現っていうのは、やっぱり欲なのかな、と思う。


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