2015年カウントダウン シルヴィ・ギエム ー ボレロ
昔、「愛と哀しみのボレロ」という映画を見に行った(はずだった)。
はずだった、というのも、私はその映画の途中、寝落ちしてしまい、ほとんど内容を覚えていなかった。
昨年東急ジルベスター(大晦日)コンサートとして、100年に1人の逸材、「バレエ界の至宝」と讃えられるダンサーの「ボレロ」がカウントダウンに選ばれTV放送すると聞いて、録画しておいた。
家のものとのチャンネル争いに負けたのだ。(後にライブで見なかったことが悔やまれる)
それくらいだから、特にバレエに詳しいわけでもなんでもない、ただの好奇心からの録画だった。
初めて見た、ギエムの身体は驚くべきものだった。
50歳と聞いたが、天性の骨格が、鍛え抜かれた筋肉に包まれて、細く、しなやかで鞭のような身体。
腕を振り上げる、脚を振り上げるだけで魔法にかけられたよう。
赤く丸い舞台で踊るギエムは、巫女のように見えてくる。
今でも、ふとした時に、ボレロのリズムが聞こえてくる。
まさに中毒性のリズム。
ジャンプ、弓なりのポーズ、全てに魅了された。
ご覧になってない方に、ぜひ紹介したい。
他のダンサーのボレロも見比べて見て、それぞれの良さがあるけれども、ポーズの美しさは断トツである。
2014年に、50歳になる2015年に引退公演を決めたこと、華やかで個性的な経歴、知れば知る程魅力的な伝説のバレリーナであった。
年明けから毎日1回は見てしまうのであるが、この舞台、踊りはアスリートの演技に似ていると思った。
例えばフィギュアの羽生結弦の演技を見るような、技術力と表現力。
言葉を超えた身体をつかった表現の力に、言葉でないところで共鳴する。
ボレロのリズムのように、最初はギエムを、次はまわりの群舞を、その次はオーケストラの演奏を、集中をずらしながら、もう1回、もう1回と見返したくなる。
あまりに、言葉を失くして見つめつづけたからこそ、猛烈にこの紹介文を書きたくなった。
そして言葉を超えたコニュニケーション、表現に打ちのめされるのも、それはそれで至福だと思った。
時には言葉を捨てて、踊るが良い。
人が踊るのは本能。
ギエムのように踊ることはできないし、誰に見せるわけでもなくとも、自分の踊りを踊ることは大切だし、無くしたくないと思った。
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