あの日のこと(2)
8月24日(月)
病院へついてベッドに駆け寄ると、父はかすかに意識があった。呼吸器をまたつけていたが、少し落ち着いてる様子。先日と違って、話しかけても、言葉を返すことはできなくなっていた。
手をにぎるが、握り返す力も弱い。
看護師さんも、連絡したときより少しいいです、と。
今晩どうするか話し合い、安定してること、これが何日も続くかもしれないこと、など泊まろうかと思いながらも姉や母に促され、帰宅した。
8月25日(火)
朝早く目覚めたら、6時に病院から電話があった。「血圧が測れないほど低いです」
またどうするか、と聞かれたので、とりあえず私だけでも行く旨、連絡する。
とはいいながら、いつものように家族を送り出してから、と思って中野駅についた時に、また病院から電話がある。
看護師「今どちらですか?」
私「まだ中野なんです」
看護師「それだと、間に合わないかもしれません」
6時に電話をくれたとき、すぐ飛び出していればよかったのに。とりあえず、とにかく向かいます、と伝える。
駅からタクシーで駆けつけたが、父はもう息をひきとっていた。
ほんの20分前のことだった。20分が間に合わなかった。
顔をなでながら、「ひとりで死なせてごめんね」と何度も謝った。涙が止まらなかった。
とりあえず、いろんなところへ連絡し、葬儀屋さんに迎えにきてもらう手配をする。
死に目には間に合わなかったけど、遺体と一緒に帰ってこれたのはよかった。
母がもし、どこか施設に入ってもらうとしても、もうこんな遠くには入れないようにしよう、と思った。
でも、私だけが死に際に間に合うという「ずる」ができなかったのも、公平でよかったかもしれない。
それに間に合わない私を父は責めることはないだろう。
きっと笑って許してくれるんだろう。
それほどに優しい父だった。
父にもらったたくさんの思い出は、ずっと私の芯となって支えてくれている。
体はいなくなっても、私の中に父はいる。
ただただ、ありがとう、の言葉しかでてこない。
生まれ変わってもお父さんの子で生まれたい。
ありがとう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
◇葉翠 様
まぁ、同じ誤嚥性肺炎でしたか。体の機能が衰えていくと食事が取りづらくなるという道になるようです。
葉翠さんのお父様も優しい方だったんですね。
ありがとうって言えるのは幸せだと思います。明後日、四十九日なのでよく祈ってきます。
投稿: しづく | 2015/10/09 17:31
ほとんど同じ体験をして父を亡くしました。
誤嚥性肺炎でした。夜の巡回と巡回の間に一人で逝ってしまい、未だにその時の悔しい思いは癒えません。
なぜ、父親はこんなにも優しいのでしょう。優しさの分だけ辛い思いがつのります。 しづくさんも「ありがとう」ですね。わたしも最後は「ありがとう」でした。
投稿: 葉翠 | 2015/10/05 22:42