歌で仕留める
月刊『五行歌』の毎月の作品評を担当していましたが、今回の2月号の評4月号掲載分を書き終わり、半年間のお役目、無事終了ということに。
先日、原稿を校正してもらっていて、
「人間の何気ない行動をうまく歌に仕留めた一首」
と評に書いたら、「歌と仕留めるの関係がわかりにくい」と指摘を受けて、「あれ、自分では自然に使っていたのだけど、わかりにくかったのか」とはっとした。(「に」という助詞が不適切だったかもしれないが)
きれいな花をみたら、カメラでパチリと撮って、「ほらきれいでしょ」と、SNSに見せびらかしたくなる。
美味しいごちそうを食べたら、それだって、写真を撮って、誰かにと伝えたくなる。記録&シェア。
写真を載せれば、一目瞭然とはこのこと。
【第1ステップ】
歌会でも作品評でも、言葉から映像が浮かぶ作品は、素晴らしいなぁと思う。好みのタイプ。
写真で見せられても、当たり前だけど、言葉から映像を出すマジックはステキ。
【第2ステップ】
見えないもの、映像化できないものを、言葉にできたら、もっともっとマーベラス!
だから、そういう歌を見ると、「うまく仕留めたな!」と感心と憧れと嫉妬とでひれ伏すのだ。
「仕留める」は、私の中では、すごい褒め言葉なのだ。
でもちょっと考え直して、直喩に変えたらわかりやすいと思って、そこを直すことにした。
「人間の深層心理という見えない獣を、五行歌という矢で仕留めた」
そう、私も矢を背負い、見えない獣を追う狩人なのだ、と再確認する出来事だった。
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