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2014/06/18

【編集】井椎しづく五行歌集『慈雨(アムリタ)』 ができるまで

1999年、インターネットで仁尾智さんの五行歌と出合ってから15年。ようやく自分の歌をまとめた歌集を自費出版することになりました。
タイトルは、『慈雨』。慈雨と書いて、アムリタと読みます。
草壁先生、事務所の皆様、AQ五行歌会の皆様、全国のうたとものみなさま、家族に感謝です。
せっかくなので、歌集作りの記録を紹介しながら書いてみたいと思います。
ちょっと長いですが、お時間がございましたらお付き合いください。

◇◆ ------------- ◇◆ ------------- ◇◆ ------------- ◇◆

毎月同人誌の月刊『五行歌』への投稿が3〜6首、そのほかに歌会等、ノートにメモしたものなど、年間70首としても、15年創作を続けていれば、1000首くらいになる。
ほんとは5年置きくらいに歌集にまとめるといいと聞いていたが、なかなかそうはいかず、ようやくというところ。

1ページを2首にすれば、同じページ数でも収録される歌の数は倍になるわけだ。
私は小さ目の判型にしたかったのと、1首の余韻を1ページにこめたかったので、1首組にした。
一般的な200ページくらいとすると、少なくとも200首以下、全体の五分の一にすることになる。

最初にしたことは、過去の歌を小さくプリントしてもらって、テーマごとに分類しながら採用か没かをふりわけてみた。
そうすると、自分の歌の傾向とかくせみたいなものが見えてきた。
同じテーマを何回か書いていたりもしていた。

あがったテーマは以下の通り。

<季節・自然>
<旅>
<家族 夫・娘・両親>
<アート 音楽・美術>
<友情>
<恋>
<自己>

ちょっといいかもと思っても、テーマとして外れてしまうものは、やめておいた。
この傾向をつかむまでは、紙でやっていたが、量が多すぎて、途中からパソコンに切り替えた。
この7つを章立てにして、さらに270首までしぼった。

この270首になった歌のプリントをもとに、友人の福井雅世さんに挿絵をお願いした。
彼女との出会いもまた、インターネットだった。まだ五行歌を書く前、1998年だったろうか。
詩やエッセイの仲間が集まっているところで知り合い、彼女のウェブサイトは彼女のイラストで美しく構成されたものだった。
わたしのウェブサイトで、冬のかるた、を作った時、イラストを一緒に描いたこともある。
わたしは雅世さんの絵にずっと魅せられていて、いつか歌集が出せるときがきたら、きっと絵を描いてもらおうと思っていた。
アメリカに暮らしている彼女が帰国するタイミングで、東京で会い、原稿をあずけた。
原稿を読んで、イラストが浮かぶ歌があったら描いてください、とお願いした。
それが去年の7月だった。

去年2013年は、9月に五行歌の展示会があり、中心になって動くスタッフ作業をしたり、全国大会、年末の編集など忙しく暮れているうちに、歌を絞れないまま年が明けてしまい、もう自分ではわからなくなって悩んだ挙句、草壁先生に泣きつく(笑)。
数日でカット候補、あるいは改作候補のマークがついて返していただいた。

特に自己のテーマ。自分ではけっこう思い入れがある歌がカット候補になっていた。
突き放してみれば、独りよがりでわかりずらい歌が多いのだった。
なるほどなるほどと思いながら、どういうものが没候補かなんとなくわかってきた。
すると、自分でもざくざくカットできた。また、同僚や、娘にも見てもらい、わかりずらい歌がないか確認し、できうるかぎり、より言いたかった本質に近づけるよう改作をした。

最後に、「入れたほうがいいよ」とアドバイスいただき、今年の4月の特集の歌を追加して全204首を決めた。
ふりかえるとこの選歌に約1年もかかってしまっていた。
わたしは今年は歌集を出したいと思いますと年賀状に3回書いたのだ。とほほ。

雅世さんにも大変な仕事を頼んでしまい、一人で苦しませてしまった。
今年になってメールをして、もう一度相談し、少しずつ絵を見せてもらえるようになった。
Dropboxの共有フォルダで、やりとりをして、挿絵の位置を決めさせていただいた。
4月ごろから本格的にページ決めをし、構成を練り上げた。
雅世さんとの共有フォルダには、40枚のイラストが入っている。
このうち、使わせていただいたのは、21枚。贅沢だ。なんという贅沢。
心から感謝である。

後付は草壁焔太先生に跋をお願いし、あとがきを自分で書いた。
つけたかったEYEマークは、ブログの前記事にあるとおり。
これでようやく中身の原稿完成。
頁数は、256頁。16進数ぴったりの数字。
目次は数字を入れず、構成した。数字は整理するのには便利だけども、章はそれぞれのテーマを伝えるだけで十分と思ったから。
Rimg3699

外身はつぎにつづきます。

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2014/06/13

EYEマーク・音声訳推進協議会についてわかったこと

わたしが初めてそのマークを見たのがいつだったか、何の本だったか、もう記憶がありませんでした。
でも、いつか自分で本を作るときには、それをつけたいと思っていました。

Eyemark
出版物の著作者が,目の不自由な人などに対して,著作物の再利用を許諾するマーク。利用者はマーク付きの出版物について,録音図書・拡大写本・テキスト-データなどへの複製利用が可能となる。(コトバンクより)http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF

これは、EYEマークと呼ばれるもので、

1992年に名古屋で開催された全国図書館大会を契機に、東海地方に在住の著作者が中心となって、「EYEマーク・音声訳推進協議会」を結成し、障害者の利用を認めることを著作物に表示しようと「アイマーク」というシンボルマークを作り、他の著作者にも呼びかけた -図書館員選書12 障害者サービス 補訂版より

ネット検索してみたが、このマークをつくった音声訳推進協議会のURLはリンク切れ、電話番号に連絡しても通じず、点字図書館の方にメールで質問したところ、元事務局長さんに問い合わせていただき、以下の回答をいただきました。

2010年1月の著作権法の改正を受け、EYEマークの必要性がなくなったと感じ、EYEマーク・ 音声訳推進協議会は解散しました。そのため、EYEマークは、趣旨にそって自由に使用していただいて構いません

趣旨に沿っていれば、自由に使用できるとのこと、ほっとしました。

ついでに著作権法も少々調べてみました。


2010年(平成21年)の著作権法改正では、第37条第3項に基づく著作物複製に関するガイドラインが作られた。規定上大きく変わったのは次の3点。

1)資料を利用できる対象が、「視覚障碍者」から、「視覚障碍者その他視覚による表現の認識に障害のあるもの」に拡大された。

2)録音による複製ができるものは従来点字図書館に限られていたが、改正で、国会図書館、学校図書館、公共図書館、視覚障碍者等のために情報提供を行う法人(NPO法人)も可能になった。

3)以前の複製は「録音」に限られていたが、「当該視覚障碍者が利用するために必要な形式」に複製したり貸し出したりすることができる。※点字本、拡大文字本、布の絵本、立体絵本、テキストデータなどが作られるということ。
【参考文献】 Q&Aで学ぶ図書館の著作権の基礎知識 第三版 黒澤節男 太田出版2012年より(一部を抜粋)

以上のことから、「必要がなくなった」という認識になったようです。

ただ、「著作権法施行令」第二条(視覚障害者等のための複製等が認められる者)の定義にあてはまらない図書館や施設は、文化庁長官の指定を受けなければならないことになります。NPO化してないボランティアサークルの活動も同様に無許諾ではできないですね。
EYEマークがあれば、音訳や点訳が必要な場合、いちいち著作権者に承諾を得る手間がなくなるという点では、まだ存在意義があると思いました。

そこで、実際にEYEマークがついてる本を図書館で探してみました。・・・が。なかなかありません、というかほとんどありません。障碍者関係の書籍はどうか、図書館では・・・とあたりをつけてようやく見つけました。
その本は、冒頭で音声訳推進協議会発足の話を引用した本でした。
図書館員選書-12 障害者サービス 補訂版 日本図書館協会 障害者サービス委員会編著 2003年
許諾文例として、引用します。

視覚障害その他の理由で活字のままでこの本を利用できない人のために、 営利を目的とする場合を除き、「録音図書」「点字図書」「拡大写本」等の政策をすることを1部に限り認めます。 その際は著作権者、または、日本図書館協会までご連絡ください。

ということで、今度わたしがつくる本の奥付には、この許諾文を参考にして文章とEYEマークをつけました。
EYEマークについてネットで検索してもなかなか情報も見つけられなかったので、記事にしました。
以上、ご参考まで。

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