【読書ノート】窪美澄 『ふがいない僕は空を見た』
2011年本屋大賞2位、R-18文学賞、映画化もされるらしい本作。ちょこっと借りて読んでみようと予約しておいた。
(すみません、これ、映画公開前に書いた下書きを加筆しましたので、ネタばれかもしれないです。ご注意ください。)
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戻るならいま?!
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読み終わった人でないとわかりにくい感想かも、すみません。
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5章からなる短編の連作で、章ごとに語り手が変わって同じ事件も別の視点から眺められるようになっている。
この作品を読み終わって、むしょうに何を感じたかを書き起したくなったのだけど、一方で脱力するように言葉にするのがむずかしいとも思っていた。
それは作家の、性と生への視線がすごくシビアで、これは小説なのだけど、お話としてだけ読むのもなにか違うかもしれないと感じたからだ。その感覚は、=感想みたいな形にはなかなかできない。うまく書けないけど、全部の構成も素晴らしいし、人物像の描き方もうまいなと思ったので記録しておく。
高校生斉藤くんとコスプレ主婦の不倫から始まる「ミクマリ」は、性描写に埋もれる中、主婦あんずの痛みをちらっとだけ見せる。ここでひるんではいけない。ここで読むのをやめたら、この1冊の解釈を間違う。
次の「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」では、ミクマリで見えなかったものが見えてくる。
それぞれの章で、同じ人間が、姓だけで呼ばれたり、名前だけで呼ばれたりして、最後にあの人とこの人は同じ人とわかるようになってる。このチラリズムもなんだかニクイ設定。
一番好きだったのは、「セイタカアワダチソウの空」。痴呆症の祖母と暮らしながらのバイト暮らし。母は恋人と暮らしている。いくら食べさせても足りない祖母と、なくなっていく米、閉塞感の中、手を差し伸べてくれた人は・・・。苦しくなるほど、生々しくてぐったりしてしまう中、簡単に救いあげてくれないところがまたリアルで。
いろんな理屈やうっぷんを吹き飛ばすのが、助産婦である斉藤くんの母の存在。
つべこべ言ったって、陣痛はやってきて、赤子は生まれてくる。
きれいごとですまない、命がけの生む、生まれるということ。
性だけじゃなく、生(老)も描いているから、この作品が厚みを持った。
作者の窪さんは、男じゃないし、斉藤じゃないけど、どこか自分(読者)にもそういうカケラはあって、天使に見えて振り向くとおなかに真っ暗な穴があいていたり、背中に切り傷があったり。
それにしても、斉藤くんのしてたことが、一生を棒に振るほどひどいことと思えない。
彼は立ち直らなくてはならない。そして祖母と福田君も救われなくてはならない。
奮闘しながら、ぐらぐら落ちそうになる彼を理解してくれる大人も、ちょっとだけどいて、その人たちが光に見えた。
それは物語であっても、希望と呼べるもので、リアルに恋焦がれる光だ。
そして私もそんな小さくてもいいから、光を放てる人になりたいなと思った。
いろんな理不尽さをエネルギーにして、それでも毎日を生きていくことが、人間なんだろうなっておもった。
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