【装丁】フクシマに立つ 叶静游 五行歌集
叶 静游(かのう・せいゆう)氏は、五十年前に反核・反原発を掲げて闘っていた。その叶氏が福島の現実に声をあげたのが本歌集である。
作品を拝見すると、怒りと憤りと、「フクシマを風化させてはならない!」という声が頭の中に響きわたる。
その思いの強さから、まえがきにあった「忘れない 忘れてはいけない」というフレーズを引用して、帯に掲げた。
写真は、福島の桃源郷・花見山。緑は萌、桜は咲き誇り、遠くの山々が青く霞む美景。叶夫人の作品。
タイトルは、『フクシマに立つ』。
作者の思い、怒りをどうタイトル文字で表現しようかと悩んで、斜めに杭をうちこむように配置して、上の文字から順に大きさを変えて頭でっかちにしてみた。
帯の左側、歌の下には、福島県の地図のシルエットを白抜きにした。
猪苗代湖の小さな穴もある。フォントを切りぬいて、文字が欠けないように細かく置いた。グリーン・ルネッサンスの言葉のイメージから、帯色は緑。
カバー裏側の草壁氏の帯文に、叶氏の紹介があるので、みてほしい。
本扉と見返し。見返しは、過去市井社で出した叶氏の歌集、すべてに共通して使っている「新だん紙」。今回は土の色を意識して茶系にした。
いま、原発再稼働で揺れる中、フクシマから学んだことを忘れてはいけない。
代替エネルギーへの道へと政策を切り替えてほしいと願う。
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コメント
多くのコメントをいただき、ありがとうございました。
ふだんこんなにコメントをいただくことがあまりないので(!)ちょっと不思議に思って調べたところ、著者の叶氏へ寄せられた感想をこちらに投稿してくださった方がいらっしゃいました。
私のブログへ直接コメントいただいたわけではないのですが、皆様のご感想がとても胸を打ち、どこかに紹介したかったというご意向もお聞きしましたので、こちらにそのまま残します。
また感想をまとめた頁ができるようでしたら、そちらをご紹介したいと思います。皆さまの真摯な意見に、感動いたしました。
投稿: しづく@管理人 | 2012/08/10 17:47
「フクシマに立つ」。私も微力ではありますが、「脱原発を目ざす首長の会」に参加し、政府に意見書の提出等を行っています。8/9には子供たちの平和交流団をつれて長崎市に行く予定です。
武蔵野市長
投稿: 邑上守正 | 2012/08/05 17:36
何の確証もなく単なる安全神話に躍らされた日本が前代未聞の地震津波の同時被災国となっても尚原発を稼働し続けようとする原子力ムラの論理を見過ごす訳には参りません。原発のない日本を創りたいですね。
投稿: いしい | 2012/08/05 17:22
まえがきの内容に全く同感です。原発を作る時から福島の市民として、今日まで一貫して平和利用のためといわれても原発には手を出してはいけないと心中深く刻み込んでいました。3・11以後は毎日悔し泣きで過ごしております。「それみたことか」と残念でなりません。日本人特に政治家がこんなにも愚かな人種だったのかと今もあきれている毎日です。じっくり「フクシマに立つ」を読み返します。
投稿: なりた | 2012/08/05 17:12
九州の豪雨もそうですが、地球が悲鳴をあげています。昨年のあの事件をほんとうに忘れてはいけないのです。私たち個々人が自分が思う、もう一歩先に踏み出し、大きな声をあげていかなければいけないのですね。「フクシマに立つ」を読みながらつくづく思いました。大きな刺激を頂きました。
投稿: 藤 夏子 | 2012/08/05 16:59
重く痛切な怒りが胸に沁みてきて息苦しくなりました。
それでも詩を書いてゆくという強さに鼓舞され、深く強く耕しながら、この時代を生き抜く道を探って行きたいと思いました。
投稿: やなせ | 2012/08/05 16:46
とりやま様、ふじうち様、よこやま様
コメントをありがとうございます。私は皆様の言葉の前では、ただただ涙を流すことしかできません。
声を聞かせてくださって、ありがとうございました。
この歌集に係れたことにも、感謝します。
投稿: しづく | 2012/08/04 17:39
大きな根源的な力を頂きました。私が原発にいやなものを感じるのは感覚的すぎるのではないかとかすかに思うときもありましたがそれは消えていきます。「フクシマに立つ」は人間という生き物の自然な感覚に立脚しながら科学的論理的に訴えてきます。平明で骨格がしっかりしています。政治家科学者企業人と向きあわなければならないときもこの歌集一冊に立ってすべてを論破出来るような気がします。私も高年ですが大切な子や孫に何万年も消えない毒を自然には存在しない毒を人間の膨れ上がった醜い欲望と関り合っている毒を残すわけにはいきませんから自分の感覚を大切にして戦い進んでいきます。
投稿: とりやま | 2012/08/04 16:51
「原発は軍部と同じ道を歩んだ」という歴史的類比に同感。放射能障害の治療法がないこと、核廃棄物「死の灰」の捨て場所がないこと。このふたつだけでも原発の稼働が罪悪であることは明白です。私は海軍兵学校で原子爆弾炸裂の白光にさらされ8月下旬に広島市、長崎市の荒涼たる原爆跡地を目のあたりにしたことが「悪魔の呪い」実感の原体験となっています。
投稿: よこやま | 2012/08/04 15:46