Raining
春の光を見ていると、いくつかのメロディが頭の中でリフレインする。
ふと口づさんでる。
たとえば、松任谷由実『春よ、来い』、スピッツの「春の歌」。
そして、Coccoの「Raining」
Cocco/Raining short Clip
最初にどこかで耳にしたときは、さびのところだけで、心を奪われて、誰の曲なんだろうと思っていた。
後で全部の歌詞を知って、ぎくっとしたけれどこの曲の包み込むような優しさの魅力が褪せることはなかった。
この曲を何度も聴きたくなるのはなぜなんだろう、とぼんやりおもう。
苦しんでいる誰かを救えるとしたら、ぎりぎりの淵に立つだけじゃなくて、同じどっぷりおぼれている人が言ったこと、そこで掴んだ希望なのじゃないかな。
雨なら泣けたのに、泣きたい今日は晴れている。
でもね、晴れていても、ほんとに泣く力が勝っていたら泣くんじゃないかな。
晴れていることで、身体のどこかが喜んでいて、そう、たとえば花のようにね。
そんな自分を見つけたら、生きていけるって思えたのかもしれないね・・・。
高村光太郎の詩に「最低にして最高の道」っていうのがあって、初めて読んだとき感動してノートに書いた。
何もなくしても、最低にして最高の道があるって信じられたら、自分を再生できるんじゃないかな。
がけっぷちもこわくなくなるんじゃないかな。
うんうん。
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コメント
うんうん。
投稿: しづく | 2012/04/06 10:57
うんうん。
投稿: 柚月 | 2012/04/05 22:10