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2012/04/30

くどうまゆみさん著『つなみのえほん』ができるまで

2011年3月11日、午後2時46分、東日本大震災が起きた。
自宅に娘といた私は、なんとかやり過ごせたのだが、テレビから流れてくる大惨事にただア然と佇むことしかできなかった。
東北には、多くの五行歌の仲間がいた。私もなんとか落下を免れたパソコンに噛り付いて情報を集めた。他の地方の友人たちの助けもあって、少しずつ安否情報が集まり、掲示板に書き込みしていった

4歳の息子さんをもつ南三陸町の工藤さんたちの無事がわかったのが、4日くらい後の3月15日だった。
工藤さん親子は、ご両親とともになんとか津波をのがれて、避難所にいらした。
当時のことを思い出し、ここ一年の月刊『五行歌』をあらためてひっくり返してみてみた。

◆月刊『五行歌』5月号、工藤真弓さん特集「暗い森」25首、ゆうすけくん特集「ばつ ばつ」6首掲載。
工藤さんの作品特集の原稿が届いたのは、3月28日。読ませてもらったとき、涙がこぼれた。
この「暗い森」がのちの展示や、紙芝居、今回の絵本の核になった。

◆5月には、福岡市「百貨蔵」にて福岡合歓の会企画の震災五行歌作品展示、西日本新聞や、NHKニュース、ラジオで紹介され全国で反響。5月~6月、こもろ五行歌会企画、小諸市で震災五行歌展。

◆6月、工藤さんの作品も含む、被災五行歌人の五行歌を、草壁焔太主宰と、ティム・ゲイガン氏が英訳し、『FLASHQUAKE』という米詩歌雑誌に掲載。

◆6月6日 朝日新聞に工藤さんのCD「感謝のうた」記事掲載。
加美町中新田交流センターの避難所で、支援のお礼に書かれた工藤さんの五行歌が多くの方の共感を呼び、曲がつけられCD化へ。
 関連記事1→ http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201106050286.html

 関連記事2→ http://mytown.asahi.com/areanews/miyagi/TKY201106050286.html
 関連記事3→http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/110822/110822-3.html

 ※現在CDは完売し、売上はすべて南三陸町に寄付された。 

◆6月20日 工藤さんの「暗い森」宮城県古川高校から作品展示され、各高校で巡回。奈良でも神社などで移動展示。
8月には、大阪豊中市、松山市でも工藤氏作品展示。
その後、合歓の会の災害五行歌のパネルは、展示を見て感動された方が、他の都市でも展示し、と各地をバトンタッチ。富山のフットサロンから、富山日赤ロビー、横浜の日赤、福島の被災地ケアの看護婦さんへと今もどこかで全国を巡回中。

◆11月30日、「Flashquake」に掲載された、災害五行歌が「プッシュカート賞」にノミネート。
 関連記事→ http://www.flashquake.org/flashquakes-2011-pushcart-prize-nominations/

Flashquake's Pushcart Prize Nominations
M9.0: 35 JAPANESE GOGYOHKA ON THE DISASTER
Translated by Enta Kusakabe and Tim Geaghan
Introduction by Enta Kusakabe and Tim Geaghan
災害の五行歌掲載記事→
http://issuu.com/cindybell/docs/flashquake_vol10_iss4/69

◆そして2012年、2月高槻市でも震災五行歌展。
◆2月15日、中日新聞、東京新聞にて、「紙芝居 避難の記憶」として取材記事掲載。
◆3月NPOひとあかりさん主催、五行歌ワークショップ開催、ベイサイドアリーナで五行歌展示。
 チラシ→ http://5gyohka.com/cgi-bin/takabbs4s/show.php?pic=120326140540046573.jpg

現在も5月~6月、静岡県岳南鉄道車内にて『震災五行歌展』開催中。
各地の人の心を動かし、体を動かした震災の五行歌の歴史が刻まれていた。

現在も、工藤さんは、自らが絵と文を書いた紙芝居を上演して、体験を伝える活動をされている。それが、亡くなった方への供養であり、自らの役目とされているのだ。
今回、その紙芝居をベースに絵本を作りたいというお話をいただき、取り組むことになった。
※絵本の文章の中に、「暗い森」の中の17首の五行歌が含まれています。

もともと紙芝居用だったものを、少しでも絵本らしく、読みやすいように編集した。この絵本は、被災した当事者自らが書いた、描いたことが一番の価値なので、それを大切にしたいと編集部みんなの気持ちだった。

最初の絵は、カラーコピーを見せていただいたのだが、原画が届いたときには「どきっ」とするものがあった。
なんだろう、息遣いのようなものを感じたのだ。
魂がこめられていると思った。

本を売る、という立場からしたら、たとえば著名な少なくともプロの絵本画家などに挿絵を頼むという選択肢も当然あった。その方が売れるのかもしれない。それも社内でも話に出たが、結果として絵も工藤さんでというのは譲れないだろう、ということで一致した。この絵は、息子のゆうすけくんとともに、より気持ちを表現するためになんども描き直したと聞く。
当初ぐらぐらしていたわたしの気持は、原画を見たとき、ぴたっと定まった。
このためなら、がんばってみようと思った。 


(たぶんもうちょっとつづく)


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2012/04/15

ジャングルジム

4月のAQ五行歌会に、こんな歌を出した。

Photo

このところ、学生もののWeb漫画を見ていて、そのうちにふっと昔の記憶が浮かび上がってきて、書いたもの。
小学3,4年生のころだったろうか。
勉強も運動もできて、しかも可愛い女王様がクラスにいて、「今週は、この子しかとね」と命令がでると、みんなそれに従うような雰囲気があった。自分もそれに従っていたかはさだかでない。距離を置いていた気もするが、流されていたのかもしれない。

あるとき、突然、わたしがターゲットになった。(服従度が足りなかったのかな)
昼休み、いつもなら鬼ごっこをする屋上ジャングルジムに行っても、わたしのそばはおろか、ジャングルジムにも誰もいない。登って、ぼーっと空を見ていた。
その青を、思い出した。

わたしは泣かなかったし、自分は何も悪くないって思ってた。
ただただいつやむと知れない嵐が過ぎるのをぼーっと待ってるような。
もともと本が好きだったから、本をむさぼり読んでたと思ってた。
でも、思い出すと、外に出て、ジャングルジムに登ってたんだ。

後日談としては、それはある日ぱたんとおわった。一番仲の良かったともだちが、「ごめんね」と話しかけてくれたんだ。それから二度と無視されることはなかった。きっと相手も反応がなくてつまらなかったんだろう。

今のわたしなら、「けっこうやるじゃん」って言ってあげたい。
「がんばったね」って。
五行歌にしたことで、その思いが成仏できた気がした。
なむなむ。

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2012/04/14

インターポット2周年おめでとう☆

花火でお祝いよ。

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2012/04/07

【読書ノート】 よしもとばなな 『健康って?』

2009年に出た、『人生って?』の姉妹本みたいなスタンスですね。装丁がMIHOさんの切り絵でコーディネイトされています。ものすごく繊細で、レースみたい。それとも絵を切り絵風に加工しているのかな? ばななさんが、「描いてくれた」って書いてあったから。
『人生って?』は、Q&A方式で、人生相談的な質問に、ばななさんが答えるという内容だった。同じようなのかなと思ったら、今度はまったく編集が変わって、4人の身体のプロフェッショナルとのインタビューと、るなさんというがん患者の闘病記、となっている。

がんサバイバーの私にとって、健康というのは一番の人生のテーマだ。
健康という土台がしっかりあって、人生が豊かになると身に沁みて思うからだ。
ここで扱う「健康」の定義は、単に身体が病気になっているかどうか、ではなく、るなさんのような末期がん患者であっても、「健康じゃないということばがあてはまらない」気持ちになる。
何度も医者から絶望的な宣告を受けながらも、再生していく姿は震えるような感動をもらう。

この本を作るにあたって、この闘病記に、(2段組みフォントも小さくした上で)全体の本の文字ボリュームの半分くらい割いてスペースを提供した、ばななさんと編集者の信頼にもじーんとくるものがあった。

前後するが、中でもTaoZen代表大内雅弘さんとのインタビューがとくにメモしたい。

大内:瞑想について考えることですが、僕たちがやっているのは心を込めて何もしないとか。心を込めて体には役に立たないことをやるとかね。そういう贅沢なことなのかなって。・・・・(中略)何か今、効率とか役に立つとか。 よしもと:何かに結びつくとかが多すぎる。

これを読んだとき、耳が痛かった。仕事なら効率優先があたりまえなのだが、人生すべてじゃない。
大学生の娘に、「将来役に立つことを身につけろ」とつい言ってしまう。
それは間違ってないけど、それだけじゃきっとつまらない、ステレオタイプになっちゃう。だって、みんな同じように考えてるんだもん。違い、その人らしさの遊びって必要よね。

あえて、役に立たなくてもやりたいこと。それがその人の人生の重要なエキスかもって思った。

あと、大内さんからばななさんへの質問で、「作家としてたとえば心と体が健康になっちゃったら、作品できないんじゃないかって恐怖感」があるか? への回答で、

いや、ある程度考えぬいた後だったら大丈夫だと思います。・・・(中略)で、その考え抜いたことによって作家になってしまった後はそれを取り戻していく作業をしないと、逆にダメだと思う。今は取り戻す作業のさなかにいるのであって。いつまでも思春期ぐらいの圧がかかった状態のまま生きていたら必ず作品はちっちゃくなっていきますよね。ちっちゃく同じことの繰り返しで、しかも進歩のない繰り返しになっちゃう気がします。

これもね、すごく腑に落ちちゃった。自分の身の回りに引き寄せて、小さな創作活動をしているわけで。

いろいろすごい経験をもとに、書いた迫力のある作品を読むと、こういう経験をしないとこんなのは書けないなーとか思ったりする。
「思春期の圧がかかった作品」も、わたしはけっこう好きでその痛みを愛でるようなところもあった。
だから、この最後の、「進歩のない繰り返し」ということばには、痛いところをつかれたような気がした。
あ、それはやだな、って素直に思った。
自分は取り戻してるのかな、って思った。
進んでるのかなって思った。

痛みの中にとどまっているのは、ぬるま湯のようにむしろ心地よいことなのかもしれない。

健やかに。
冷水を浴びて、熱湯におののきながら、ぐらぐらゆれながらでも動いていたいな。
健やかに。


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2012/04/04

Raining

春の光を見ていると、いくつかのメロディが頭の中でリフレインする。
ふと口づさんでる。
たとえば、松任谷由実『春よ、来い』、スピッツの「春の歌」。
そして、Coccoの「Raining」

Cocco/Raining short Clip
最初にどこかで耳にしたときは、さびのところだけで、心を奪われて、誰の曲なんだろうと思っていた。
後で全部の歌詞を知って、ぎくっとしたけれどこの曲の包み込むような優しさの魅力が褪せることはなかった。

この曲を何度も聴きたくなるのはなぜなんだろう、とぼんやりおもう。

苦しんでいる誰かを救えるとしたら、ぎりぎりの淵に立つだけじゃなくて、同じどっぷりおぼれている人が言ったこと、そこで掴んだ希望なのじゃないかな。

雨なら泣けたのに、泣きたい今日は晴れている。

でもね、晴れていても、ほんとに泣く力が勝っていたら泣くんじゃないかな。
晴れていることで、身体のどこかが喜んでいて、そう、たとえば花のようにね。
そんな自分を見つけたら、生きていけるって思えたのかもしれないね・・・。

高村光太郎の詩に「最低にして最高の道」っていうのがあって、初めて読んだとき感動してノートに書いた。
何もなくしても、最低にして最高の道があるって信じられたら、自分を再生できるんじゃないかな。
がけっぷちもこわくなくなるんじゃないかな。

うんうん。

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