くどうまゆみさん著『つなみのえほん』ができるまで
2011年3月11日、午後2時46分、東日本大震災が起きた。
自宅に娘といた私は、なんとかやり過ごせたのだが、テレビから流れてくる大惨事にただア然と佇むことしかできなかった。
東北には、多くの五行歌の仲間がいた。私もなんとか落下を免れたパソコンに噛り付いて情報を集めた。他の地方の友人たちの助けもあって、少しずつ安否情報が集まり、掲示板に書き込みしていった
4歳の息子さんをもつ南三陸町の工藤さんたちの無事がわかったのが、4日くらい後の3月15日だった。
工藤さん親子は、ご両親とともになんとか津波をのがれて、避難所にいらした。
当時のことを思い出し、ここ一年の月刊『五行歌』をあらためてひっくり返してみてみた。
◆月刊『五行歌』5月号、工藤真弓さん特集「暗い森」25首、ゆうすけくん特集「ばつ ばつ」6首掲載。
工藤さんの作品特集の原稿が届いたのは、3月28日。読ませてもらったとき、涙がこぼれた。
この「暗い森」がのちの展示や、紙芝居、今回の絵本の核になった。
◆5月には、福岡市「百貨蔵」にて福岡合歓の会企画の震災五行歌作品展示、西日本新聞や、NHKニュース、ラジオで紹介され全国で反響。5月~6月、こもろ五行歌会企画、小諸市で震災五行歌展。
◆6月、工藤さんの作品も含む、被災五行歌人の五行歌を、草壁焔太主宰と、ティム・ゲイガン氏が英訳し、『FLASHQUAKE』という米詩歌雑誌に掲載。
◆6月6日 朝日新聞に工藤さんのCD「感謝のうた」記事掲載。
加美町中新田交流センターの避難所で、支援のお礼に書かれた工藤さんの五行歌が多くの方の共感を呼び、曲がつけられCD化へ。
関連記事1→ http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201106050286.html
関連記事2→ http://mytown.asahi.com/areanews/miyagi/TKY201106050286.html
関連記事3→http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/110822/110822-3.html
※現在CDは完売し、売上はすべて南三陸町に寄付された。
◆6月20日 工藤さんの「暗い森」宮城県古川高校から作品展示され、各高校で巡回。奈良でも神社などで移動展示。
8月には、大阪豊中市、松山市でも工藤氏作品展示。
その後、合歓の会の災害五行歌のパネルは、展示を見て感動された方が、他の都市でも展示し、と各地をバトンタッチ。富山のフットサロンから、富山日赤ロビー、横浜の日赤、福島の被災地ケアの看護婦さんへと今もどこかで全国を巡回中。
◆11月30日、「Flashquake」に掲載された、災害五行歌が「プッシュカート賞」にノミネート。
関連記事→ http://www.flashquake.org/flashquakes-2011-pushcart-prize-nominations/
Flashquake's Pushcart Prize Nominations
M9.0: 35 JAPANESE GOGYOHKA ON THE DISASTER
Translated by Enta Kusakabe and Tim Geaghan
Introduction by Enta Kusakabe and Tim Geaghan
災害の五行歌掲載記事→
http://issuu.com/cindybell/docs/flashquake_vol10_iss4/69
◆そして2012年、2月高槻市でも震災五行歌展。
◆2月15日、中日新聞、東京新聞にて、「紙芝居 避難の記憶」として取材記事掲載。
◆3月NPOひとあかりさん主催、五行歌ワークショップ開催、ベイサイドアリーナで五行歌展示。
チラシ→ http://5gyohka.com/cgi-bin/takabbs4s/show.php?pic=120326140540046573.jpg
現在も5月~6月、静岡県岳南鉄道車内にて『震災五行歌展』開催中。
各地の人の心を動かし、体を動かした震災の五行歌の歴史が刻まれていた。
現在も、工藤さんは、自らが絵と文を書いた紙芝居を上演して、体験を伝える活動をされている。それが、亡くなった方への供養であり、自らの役目とされているのだ。
今回、その紙芝居をベースに絵本を作りたいというお話をいただき、取り組むことになった。
※絵本の文章の中に、「暗い森」の中の17首の五行歌が含まれています。
もともと紙芝居用だったものを、少しでも絵本らしく、読みやすいように編集した。この絵本は、被災した当事者自らが書いた、描いたことが一番の価値なので、それを大切にしたいと編集部みんなの気持ちだった。
最初の絵は、カラーコピーを見せていただいたのだが、原画が届いたときには「どきっ」とするものがあった。
なんだろう、息遣いのようなものを感じたのだ。
魂がこめられていると思った。
本を売る、という立場からしたら、たとえば著名な少なくともプロの絵本画家などに挿絵を頼むという選択肢も当然あった。その方が売れるのかもしれない。それも社内でも話に出たが、結果として絵も工藤さんでというのは譲れないだろう、ということで一致した。この絵は、息子のゆうすけくんとともに、より気持ちを表現するためになんども描き直したと聞く。
当初ぐらぐらしていたわたしの気持は、原画を見たとき、ぴたっと定まった。
このためなら、がんばってみようと思った。
(たぶんもうちょっとつづく)
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