歌会の欠席歌について思うところ
年末の片づけついでに、AQ歌会のプリントやファイルを整理した。
私がAQ歌会の事務担当になったのは、2005年7月なので、5年少々になる。
その間、受け続けてきた欠席歌を、今月からお休みすることにした。
今まで何度思っても言いだせなかったし、考え直してきたことだった。批判も覚悟の上でお願いしたことだった。今月の歌会で代表の水源さんや歌会のメンバーにも了解をいただいた。
歌会の事務局とは、何をする人か?
その歌会によっては担当が違うかもしれないが、まずは会場の確保。
AQの場合、直接会場に出向いて毎月土曜日の朝9:30の抽選会にでなければならない。
歌会1週間くらい前に、登録してあるメールリストへ案内メールの送信。
メールがない人はFAXなどでも対応する。
歌会までの間に、歌を集め、いつもきてる人が連絡がないときは問い合わせなどもする。
歌会プリントの作成、採点票の準備。
当日は早く行って、お湯を沸かしたり、お菓子をくばったり・・・。
そして歌会。
歌を読むのはすごく集中力がいる。自分で感じたこと、思ったことをコメントで話さなければならない。レポートが他に頼めなかったらメモもとる。
片づけして、終了。二次会へ。
はー終わったー。と帰ってくる。
でも、欠席歌のための仕事がまだ残ってるのだ。
たいていすぐにはできないから、それはずっと頭の隅に居座り続け、プレッシャーを与え続ける。
やってみればそんなに時間を取られるわけでもないが、忙しくてやれないと、後ろめたさに責め続けられる気持になるのだ。
私の個人的な事情で(受験生がいるため)、本人も家族もメンタルが厳しい状況にある。朝早く、夜遅く、仕事をして、家事をして、子育てをして、趣味もあって、きつくなっていた。
「もう、やめたい」と思った。
前からもやもやしていたものが爆発した感じ。
そのもやもやの正体が、今回わかった気がした。
欠席歌を出す人は、自分の歌に評価をもらうが、他の人の歌を読んだり、他の人がどういう感想や分析、考察、感じ方をするのか学ぶ機会がない。
一方的に歌を出してるだけじゃ、自分の枠を破れない気がする。
だから歌会には、参加してほしい、というのが率直な感想としてある。
歌会に出られないのは、地理的に無理、時間がない、いろんな理由があると思う。
でも、たとえば、五行歌の会本部作品掲示板に参加するとか、同じ欠席歌を受け付けていても評価もする歌会(たとえば岐阜歌会)に参加するなど手だてはある。
自分でネット歌会をつくったっていいのだ。
一方的に欠席歌を送りつけてただ評価をもらうことだけを、無意識に繰り返すのではなく、一度立ち止まって考えてはいただけないだろうか。
歌会参加者がお金を出し合っている会費の中から、自分たちが無償でサービスを受けてるという認識をちゃんともってる人がどれだけいるのだろうか。(欠席歌に対して参加費をとっている歌会もあるが、AQは無料)
今回、私の個人的な事情から、欠席歌を受け取らないという発端ではあったのだが、やはり心の奥にくすぶっていた「気持ち悪さ」がはっきり認識できた。
もちろん、他の歌会、もっと心の広い事務局がいて、いつもメンバーが固定もしくは少ないので、欠席歌がほしいという歌会もある。『五行歌』本誌の歌会レポートを見て、欠席歌をたくさん受け付けてるところは狙い目かもしれない。
今後AQもどう欠席歌を扱うかはまたわたしの状況が好転したら、話し合う余地があるかもしれない。今はまだなんとも言えない。
全体として、欠席歌を非難するように書いてしまったがいいところももちろんある。
吟味する歌数が増え、バリエーションがでるので、読みの練習になる。
いろんな事情で出席できない方にも、歌会にちょっとだけ参加できる。
出席できないけど、「AQ歌会に欠席歌を出したいんです!」とラブコールをいただくこともある。そういうのだって、うれしいにきまってる。
だからこそ、5年以上も続けてきたんだ。
いまはちょっと休ませてください。
コメントはお返事できないかもしれませんが、受け付けますのでご意見ある方はコメント欄へどうぞ。謹んで読ませていただきます。
AQ五行歌会事務局 井椎しづく拝
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コメント
◇満月さん
ああ、岐阜にでてる満月さんの意見が聞きたいと思ってました~! ありがたや!
欠席歌しか出せない方には救いの神ですね。
離れていても、お互いに歌を読み合い、よく味わって、感想を交わし合って、参加費も負担する。これは歌会そのものです。 代表さん、事務局さんの努力にただただ頭が下がります。
あと本部としてどうかも、むずかしいような・・・。
やはり各歌会でできること、最善のことをみなさまくふうしながらやってると思いますので・・・。
もともと先生は歌会は出席した場のもの、という考えなので、欠席歌は出席予定の方が、当日熱が出たとか、家族が病気とかそのときにやむをえなくつくられるもの、という認識だと思います。
いろんな歌会の様子をお知らせくださり、ありがとうございます。私自身、AQしか出てないので、出ていても欠席歌の台所事情まではわからなかったので、大変参考になりました。
ありがとうございました。
投稿: しづく | 2010/12/30 08:30
◇海のさん
欠席歌を送るのは、「出られなくてごめんね、いつか出たいよ~」というシグナルだということは痛いほどわかっています。だからこの決断が辛くて、自分がふがいないんですよ。ほんとうに申し訳なくて。
ご理解いただけて、ありがたいです。
投稿: しづく | 2010/12/30 08:23
おひさです♪
ふむふむ、やっぱ欠席歌の扱いって難しいっすよね。
歌会によってあつかいはいろいろです。
歌会として欠席歌は扱わないって約束事にしていたら楽なんでしょうけど、参加人数の少ない歌会では欠席歌が無いと、作品のボリュームが少なくて歌会としてさびしい、成り立たないってこともあります。
逆に参加人数が常に多い歌会では、欠席歌のみの選歌を行なったり、はじめから受付なかったりです。
また、欠席歌の投稿には通信代を徴収するとこもありますね。
欠席歌を選歌対象として参加歌と同一に選歌する場合、欠席歌は点数をもらうだけで他歌に点数を与えず不公平と言う声もあります。
歌会によっては、参加歌には始めからプラス1点を加えるってとこもありますね。
歌会は点数を競うのでは無く歌を楽しむものって誰もが理解はしていると思いますけれど、選歌って行いをしている以上点数は気になるとこ。
選歌をしない歌会にすればこの不公平感は無くなりますけれど、どうなんでしょうね。
選歌って作業を行なうことで、それぞれの歌を読みとるって責任がでてきて、真剣になれると思うのです。
欠席歌を受け付けてくれる歌会って、なかなか参加できない者にとっては有りがたい存在。
しかし、受け付けてる歌会の事務局の負担は大きいってのが共通しているように感じますし、
また、不公平感を与えるものでもあります。
この部分を理解して欠席歌の扱いを歌会それぞれで決める必要があると思います。
もちろん五行歌本部としての見解は必要かなと。
あ!そそ、岐阜歌会でっけど基本欠席歌ってのはありませんよ~~
岐阜・三重・愛知・京都・千葉・新潟などなどの歌人さんから歌が投稿され、それを代表がまとめられてから各参加者に返送→選歌→代表に返送→結果を参加者に返送~
こんな流れです。
もちろん郵送代、参加費等を徴収します。
皆が一同に集まらないってだけで、歌会として成り立っていると思いますよ(o^-^o)
投稿: 満月 ♪ | 2010/12/29 23:23
おはようございます
「いつか出たいよ~」の意味で
欠席歌を送り続けてきた私は
事務局の負担やみなさまへの配慮が足りなかった。と反省しています。
大好きなAQだから
大好きなしづくさん 水源さんのいる歌会だから
負担がかからずに
自分から時間をつくっていくべし!と
来年の目標に加えました♪
今まで ありがとうございました
今度は出席者としてお会いしましょう~
投稿: 海の | 2010/12/29 07:08