【読書ノート】姫野カオルコ 『リアル・シンデレラ』
こんな人、いるわけない。
まあまあ、そう早まらずに。
童話、『シンデレラ』って、ほんとうに幸せなの?
編集プロダクションに努める、わたしが語り部で、「倉島泉(せん)」について取材し、長編ノンフィクションを書くことになる。その取材で泉とかかわった人たちとの話をもとに、「倉島泉」とはいかなる人だったのかを描く、二重構造になった小説。
泉は、身体が弱く、美しい妹の影にかくれて、いつも働き、手伝い、いろんなものをゆずってきた。
地道に努力し、勉強し、旅館の経営手腕も裏方としてこなしてきた。
妹に、お見合い相手をとられ、夫を従業員にとられ、泉が手に入れたものは、まわりの誰かに流れていく。
泉の欲のなさに、周りの女たちは、「何か裏があるのじゃないか」と疑う。
そう、あまりに清過ぎるものは、案外疎まれたり、距離を置かれたり、信じてもらえない。
何をされても、ひどい中傷をされても、泉は畑で有機野菜を育て、布わらじを編み、休みの日に知り合いの子どもをなぐさめにいく。
自然の美しさに身動きできずにたたずんだり、うまい肴と酒を楽しんだりもする。
そう、はたから見ると彼女は、不思議なほど幸せに見えたのだった。
泉には、幸せになる呪文があった。
泉の平和をやぶったのは、「恋」だったように思う。
初めて、自分の心にやどった感情が何かもわからず、扱いかねたのではないか。
泉が選んだ道は・・・・。
泉が親友だったら、さぞ歯がゆくて、「これでいいの?」と人生の折々に何度も問い詰めるだろう。
そのたび、彼女は「なんで?」って答えるんだろう。
自分の中に、泉のような小人を住まわせておくといい。
くやしいとき、「どして?」ってまっすぐ答えてくれるから。
そして足元の実をもぎって、「そんなことより、これ食べるとおいしいよ」って言われて、
お月見で、湖に舟にのって、星を見よう、と言うだろう。
泉のことを、嫌い、という人もいるだろう。
善人すぎる、と。
でもときどき、きらっとそういう面を持ってる人ってほんとにいるよ。
そういう人を疑ったり、馬鹿にしたり、遠ざけたり、からかったりするのでなく、心からの言葉を伝えたいと思う。
いいことしてる人には、ごほうびがなくちゃ、と思ってる。
理不尽なことが、一番あたまにくる。
いいことしてる人には、いいね、って伝えよう。
もう二度と会えなくなって、泣いたって遅いんだから。
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