ぼくはロックで大人になった 〜忌野清志郎が描いた500枚の絵画〜
昨日、NHKハイビジョンで、キヨシローの番組を見た。
ぼくはロックで大人になった 〜忌野清志郎が描いた500枚の絵画〜
BShi 7月23日(金)後8:00~9:59
(再)BShi 8月1日(日)後4:00~5:59 ← まだこれから見られますよ!
見ているうちになぜかBShiだけが電波障害で、なにかの呪いかと思った。
ぼろぼろとつぎはぎの画面と、とぎれとぎれの映像だったけど、2時間目が離せなかった。
顔を黄色くぬりつぶされた、鮮やかな自画像。
「ぼくの好きな先生」のモデルとなったのは、日野高校時代の美術の小林先生で、その方が日野高校を訪れ、キヨシローの思い出を語ってくれた。
「めだたない、おとなしい子でした」
先日の東京国際ブックフェアで、カワデムック『忌野清志郎』を買っていた。その中に、キヨシローの創作ノートの写真があって、それが映像でも紹介されていた。彼は音楽活動とともに、リセットするような感覚で、絵を描き続けていたことが明かされる。
かけだしのころのライブの映像や、ノートに手書きされた譜面や歌詞。
発禁エピソードなど要所要所をすくいとりながらも、キヨシローの「油絵具で描いた絵」の力から目が離せない。
僕の絵は、油絵具があってるから、油絵具で絵を描いているだけです。「油絵」なんて言ったら、先生に叱られます。(うろおぼえ)
照れ屋のキヨシローらしい。
そして小林先生への尊敬がはんぱない。先生の「なにか大切なことを成し遂げようと思ったら、結婚なんかするな」といわれたことをずっと覚えていて、子どもができたとき悩んだ、とも。
売れない時代、ゴッホの自伝を読んで自らを励ましていたらしい。
キヨシローの画風も、ゴッホのように油絵具を厚く塗り重ねたり、ひまわりのような、バックが黄色の花の静物画をスタジオに飾ったりしていた。
自宅の絵を描くアトリエ部屋には、たくさんのキャンバスが積み重なって、こどもの絵もあった。
高校生のころから、絵を描いていたナイーブなキヨシローは、爆発的な人気で周りがものすごい変わっても、自分らしさを絵を描くことで、取り戻していたのかもしれない。
彼のステージ衣装のビビッドさは、彼本来もってる抜群の色彩感覚の表出だったことがよくわかった。
(最初は、とにかく目立たないと売れないからやってたけど、だんだんやめられなくなった、と前にみた復活ライブのVTRで苦笑していたけど・・・)
抗がん剤で脱毛したはげあたまの自画像は、ぎらぎらした目でにらみつけている。
見えない何かと戦っている目だった。
この人、こんな目していたっけ? と驚くような。
描く絵によって、サインが本名の「kiyoshi」と、「kiyoshiro」と描き分けていた。
Kiyoshiの自分は、もっと素の栗原清志として描いたんだろう。
あなたを忘れることなんて、できないよ。
知れば知るほど、好きになる人だもん。
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