【読書ノート】『クォンタム・ファミリーズ』からひきずられる妄想
東浩紀著、2009.12 新潮社
「クォンタム=量子」の意味もよくわからず、作者の東氏も簡単なプロフィールしか知らなかったが、ツイッターで話題になっていたので興味をもっていた。
読み進めると、ずんずん読めて、登場人物が時空をこえて存在するパラレルワールドになっていてストーリーをよく理解したとは言えない。読書の感想はたぶん書けない。
この物語を読んで、ひきおこされた考えとか想像を、ずるずるひきずっている。
この中の設定がものすごくこわくて、未来を予想してるような気がして、そのずるずるを外に出さずにはおられない。だからへんな文でごめんなさい。(先にあやまっておく)
※ベーシックなストーリーは上記amazonリンクをみていただけると幸いです。
※多少ネタばれ、みたいな感じになりそうなので、未読で困る方はスルーお願いします。
ここで描かれているのは、葦船往人(振り返れば、この命名も暗示的です)、妻の友梨花、風子、理樹、汐子
の量子家族のものがたり。彼らは時代をゆきつ戻りつして、パラレルワールドに生息している。
人格(魂?)と身体は分離していて、人格が身体にインストールされて人を形成している。
この人たちは、そもそも生命体として生きているのか読んでいる間、ずーと疑問だった。
多重人格とも違ってて、情報過多によるバーチャルリアルに迷い込んでいる気がしたから。
実在してる人間は誰もいなくて、あるいは、往人と、友梨花だけで、あとはぜんぶデータ&プログラムなのではないかしら。
わたしたちは、昔誰かが生きていたこと、を何で信じるのか?
それには複数の文献(データ)があるだけで十分だ。
ネット上にすべてのデータが集まる情報化社会だったら、そのデータにあれば、存在=YESと思う。
その簡単さに身震いがする。
Aという人を、ウィキペディアで調べる、検索エンジンで調べる、そこから得たものが、その人になる。
そうなると、もう身体っているのかなーと思えてくる。
脳だけが、ずらりと並んで、ネットワークでつながっている絵が見えてくる。
恐ろしい。
みんながネットワークにつながって、効率が優先になって、情報はあふれすぎるから淘汰される。
知らなくていいことは、知ることがない。
ああ、それだったら、自分はどこにあるの? みんな同じになっちゃう。
だれも予測できない失敗が、未開のルートを切り開くものでしょう?
生きるってなんだろうね。
進みすぎて迷ったら、戻ること。
352Pの一行があったから、いろんなことがわからなくても、いいやと思えた。
「ぼくはただ愛するものだけを愛せばいい。」
家族とは、無条件の愛で結びついているもの。血縁に関係なく。
あとね、人の人生をどうこうしようと思うなんて、まちがってる。
自分で決めなきゃ。覚悟と責任をもって。
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コメント
◇波那さん
うふふ。ありがとうございます。
お化けはでてこないし、血もほとんどでません。
でもネットワーク社会の進化の怖さは十分感じられます・・・。
数式に、いろんな変数をあてはめるように、人間の体にも違う変数をいれたらたくさんの分岐する人生があるみたいな感じでしょうか。
でも分岐する人生に干渉することは意味がないし、さわっちゃいけないと思いました。
いまの自分の人生をどうするかだけ考えればよいか、と。
投稿: しづく | 2010/06/15 07:36
しづくさん
おはようございます。
本話に釣られました*^^*
興味深いものがたりですが、ホラーじゃないですよね?w
でもぞわぞわ来そうです。
ネット率高い私なので、改めて考えると余計そう思います。ご紹介ありがとうございます。
投稿: 波那 | 2010/06/14 10:34