【読書ノート】 悼む人
天童荒太著、文藝春秋。450ページ。構想執筆八年。
八月は、亡くなった方に思いをはせる月のように思う。
お盆があったり、原爆記念日や、終戦記念日などがあるせいだろうか。
坂築静人という青年が、日本全国を亡くなった方の現場に行って、話を聞き、悼む旅をしている。
物語は、もう一人の女性と、週刊誌の記者、静人の母親との視点で語られる。
あらすじはいまは検索すれば出てくるので語る必要を感じない。
愛する人を失った悲しみは、同じ経験をした人でないと、わかった、なんて気安く言えないし、言ってほしくない。
みんななんかしらの傷を負って、ふだんはそれを胸の奥にしまっている。
でも、聴いてくれる人がいたら、ふと、こぼしてしまってもいいでしょう?
だって8月だから。
今年のわたしの8月のテーマは、「夏」であり、「悼」でもある。
静人が遺族や、経緯をしる周りの人に聞く質問は、三つ。
「事件や事故での死に方では、あく、亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなく、
「誰に愛され、また誰を愛していたか、どんなことで人に感謝されていたか
にあるのではないかと、亡くなった人々を訪ね歩くうちに、気づかされたんです」
この長い物語を読む途中、なんども泣かされたのだが、一番嗚咽したのは、ある別れのシーン。
「・・・・愛された女性として、です。坂築静人に、愛された人として・・・・・」
この三つのことは、死ぬ前に伝えられなくてはいけなかったのだ。多くの人は、自分の持っているものに無自覚だ。
死、は、ものすごく目の荒いざるのようなものだと思う。
ほんとうに大きな本質的なものしか残されない。
自分が死ぬ前に、本質を見つける目を持つことが人生にとって大事なことなんじゃないだろうか。
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