関東合同新年五行歌会の歌
1/10(土)が関東合同新年歌会でした。
参加者が多く、小歌会はひとつあふれて別室になった。
今年は、牛肉の種類がテーブル名に。
12名の小歌会に参加した。
いつもと違う司会、メンバー、雰囲気を味わう。
わたしの歌は、
真剣な目が
好きだ
たとえば
ピカソの前で
佇む人の (関東合同新年歌会提出歌)
点を入れてくださった方のコメントの後、入れないけど「はい」と手を挙げてコメントをくださった方がいらした。
うれしい。
その方いわく、「ピカソ、にひっかかった」と。
ピカソの絵は何を描いているかわからない、とおっしゃり、「たとえば」と引く例としてその方の中で腑に落ちなかったという趣旨のことを伝えてくださった。
数秒あれこれ考えたのだけど、「わかろうとしなくてもいいのではないでしょうか」とだけ発言した。
以前書いた歌。サイトにも載っているが
か だ わ わ こ
ん っ か た れ
じ て ら し は
る な に な
も い も |
の に
だ ?
か
ら
ニ わ メ 残 時
ヤ か ッ さ を
リ る セ れ 越
と か | た え
笑 い ジ て
う ? が
私にとって、ピカソはおもしろくてしかたがない。目に見えない部分を描こうと挑戦し続けた人だと思うし、二次元で三次元の構図を実現した人だと思っている。
グロテスク。
わからない。
気持ち悪い。
残酷。
(いやものすごい静謐な作品もあるのだけれど・・・)
上等だ。
それこそが描きたいものだと思う。
でも、ピカソを嫌いな人にはわたしの歌は届かないのだと知る。
でも、だから、言いたい。伝えたい。
絵と対話する人のきれいさを。
無垢なかがやきを。
それを見た感動を。
自分に刻み込むためにも。
自分の表現をパーフェクトに伝えようとする挑戦は、ある意味不毛なものなのかもしれない。
絶望の中から、ひょっとして伝えることができるのではという奇跡の光を恋い焦がれ続けるものなのかもしれない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
◇中谷様
点を入れてくださったとのこと、うれしいです。
土曜日もありがとうございました。
お子さんも大きくなれば、どんどん行動範囲も広げられますね。
できることとできないこと、今できなくてもいずれやりたいこと、無理してもやりたいこと、などと時間とエネルギーを分けることをここ数年続けてきました。おかげさまでまあまあいい感じで進んでおります。
投稿: しづく | 2009/01/27 07:58
私は好きなことは好きと表現できる感性がいいなと思ってこのお歌に点数を入れさせていただきました。
昨日の「AQ歌会」も出席できてよかったです。積み重ねを大事にこれからも進んでいけたらと思っています。都度、できる範囲で考えごとも深めていけたらと思います。(遅くなりましたが、書き込んでおきます)
投稿: 中谷京華 | 2009/01/25 14:59
◇グランさま
ありがとうございます。グランさんが歌から読み取っていただいたものが、わたしの言いたかったことでした。たまたまこのときが「ピカソ」だったのでそのまま書いたのでした。
自分にもあるのですが、歌の中の「ある部分」にひっかかること、はよくあります。他はいいのだけど、「ここは」みたいな。でもそれは別の方から見ると、「そこがいい」になったり。
人のチャームポイントも似ていますね。
挑戦は続きます。
投稿: しづく | 2009/01/18 08:28
おはようございます。
事前採点の時から、点数を入れさせていただきました。
しづくさんお歌と分かって、更に深く理解できました。
ピカソ云々でお歌全体を理解できるかどうかの問題ではないのではないか、と思いました。
私が見えたものは、ピカソの絵ではなくて、その前に佇んでいる人、あるいは佇んでいる人を見ている作者の「目」の鋭さでした。
それが、セザンヌであっても得点を入れたと思います。
セザンヌとピカソでは、訴えるものに違いがありますが
私には4,5行目が得点のポイントでした。
投稿: グラン(茉莉歌) | 2009/01/17 12:32