奴隷でない人生
先日から、よしもとばななさんの10/23の日記にかいてあったことが、頭をぐるぐるしてる。
そこそこリラックスして、体にいいものを食べて、それなりに運動もし、いつも気持ちよく余裕のあるスケジューリングで、仕事もむりせず、意外なことがなにも起きない…そんなすてきな人生は、肉体と時間の奴隷であると思う。その逆(放蕩、体を無視して忙しくつめこむ、楽しいことのし過ぎ)も同じ意味で奴隷だと思う。
わたしはここのところ、ずっと緊張がとれなくて、疲れていて、もっと余裕のある仕事、余裕のある暮らしがしたいと思っていた。それが「肉体と時間の奴隷」とばっさり書かれていて、が~んと除夜のでっかい鐘のように鳴り響いて痺れている。
ほんとにそうだ。
うまく説明できないけど、わたしの中ですとんと何かが落ちた。
自分の思うことがなんでもスムーズに通ってしまったら、流されまくるだろう。結果自分の欲に縛られることになるのではないか。
思うようにならないから、苦しみ、努力し、別の光を模索して、ときにはそれを手に入れる。
自分から開放される。
忙しいばかりが奴隷と思い込んでいたから、びっくりした。
そしてわたしはいままでも、安寧の奴隷だったことがあるのだ。
いまもすぐそこに。
奴隷でない人生。あこがれだ。
でもそれはぜんぜん楽じゃないだろうが。
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