植田正治:写真の作法
今日、恵比寿の東京都写真美術館へでかけた。
岡本太郎の展示を見に行ったのだが、違うフロアーの展示を一緒に買うとチケットが割引になると言われ、たまたま見てみた。
これがとても新鮮でよかった! 明日までなので、どうしても今日中にこのことを書いておきたい。
1930年代からなる白黒写真は、新しい挑戦に満ちていた。
古い日本の風景だが、いやなぜだろう。彼らが日本人に見えない。
鳥取の出身ということで、砂丘をキャンバスに、抽象画を描くように、シュールレアリズムな表現がそこにあることに驚かされた。
これも「写真」なのか、ということを実践してみました。 - 植田正治
帰宅して、googって「世界で最も注目された日本人写真家」と知る。
植田正治写真美術館に作品の紹介があるので、ぜひご覧いただきたい。
写真を言葉で表現する愚かさを知りながら、やってみる。
◇枯花の図 古びたマットレス。3本の枯れた花が生けてある。よくみるとそれらは剣山に刺さっている。
◇砂丘。シャツをきた男性の手元に、ちいさな額縁。その中に、遠くにいる女性がすっぽり入っている。
◇砂丘。ノースリーブの黒っぽいワンピースを着た女性が、大きな傘を伸び上がってさしている。その視線の上には、ぽっかりとおおきな雲、ひとつ。
◇堤防の切れ目に立つ少年。切れ目からは、海がみえる。少年は、コップの中に入っているみたいに見える。
◇夕日を浴びたスケッチブック。何本もの赤いピンが刺さっている。そのピンの影は、スカートをはいた女性の姿に見える。
あるものを写すんじゃない。
作りこまれた表現を写真に焼き付けた作品なのだ。
自然の中で、発見する不思議な瞬間。ピンの影のような。
すごくシンプルな遠近の差で、手前のものと後ろのものを組み合わせてみることで生まれる面白さ。
日常の中で、生まれる意外な発見。
砂丘のキャンバスで描く、ダリの絵のような超現実世界。
こんな写真、初めて見た。
自分の無知がうれしい。
打ちのめされ加減がたまらん。
北風ビュービューの中、行って良かった。
太郎さんのことは、また後日。
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