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2006/02/26

夢日記

それは目覚ましの音で遮られる直前まで続いていた。

場所はどこかのお宅。
わたしは長い廊下に立っている。突き当たりは、外に通じる勝手口のような扉。
人々があわただしく駆け巡り、どうやら奥の座敷で、誰かが毒を飲まされて死んだらしい。
誰かがわたしに告げては立ち去る。
誰かが警察に電話している。

気がつくと、わたしは一人で廊下に取り残されている。
廊下の両側は、いくつかの扉になっている。
恐怖が襲ってくる。
逃げなきゃ。
持ってきたかばんを探すが見つからない。

やがて、一番怪しい人がわたしに話しかけてくる。
なぜか、その人が犯人のように思える。
「かばんがどこかにいっちゃって・・・」といいながら、冷や汗をかく。
足元を犬が駆け抜けていく。

何か言わなきゃ・・・とあせってるところで目が覚めた。

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最近「内観」という言葉を知った。
自分自身を知るために、記憶をたどる行為だ。
ちょっとやってみようかと思う。
逃げ出したい願望が、もしかしたらあるかもしれないから。
それはきっと、自分が変わるときだ。

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2006/02/20

パズルはお好きですか?

わたしはけっこう好きです。
集中するのがいいのかな。
とくにすきなのは、ナンプレことナンバーズプレイス。
最近、いいサイトをみつけたのだが、なんと3月で閉鎖されるらしい。

いままでは、問題があって、プリントして解いて、回答を見るというのが多かったが、こちらはオンラインでパズルができて、参加者での順位もでるのでおもしろい。

3月までですが、ご紹介しておきますね。簡単なユーザー登録で楽しめます。
いろんなことを忘れたいときに・・・・。(違)

PUZZLE & GAMES ぷが

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2006/02/11

トリノ五輪開会式

始まりました。トリノって、日本の地名みたい。鳥野町とかありそう。
開会式は、やはり見逃せません。
開催国の最高のアート魂がこめられるところです。

イタリアというお国柄と、『情熱』というテーマから、赤、黄、など熱を感じさせるカラーが印象的でした。

そして平和への祈り。
なんとオノ・ヨーコさんのスピーチが!
そして「Imagin」が会場に流れました。

去年ジョン・レノンミュージアムで買った、わたしの指輪に刻まれているのと同じ愛すべきことば。
「Imagin All the People living life in Peace.」

世界の人々が同じスポーツマン精神にのっとって、競い合い、すばらしいパーフォマンスでわたしたちを魅了してくれますように。

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2006/02/05

無意識に知らされることで奪われているもの

昨日の記事の続きになるが、東京都写真美術館では、植田正治ワールド(3F)との出会いと興奮さめやらぬまま、2Fの「写真展 岡本太郎の視線」へと降りていった。
(後からおもえば、この展示のタイトルは、なんと的確なのだろう。)

岡本太郎の1930年代パリ留学時代に親交があったという、ブラッサイ、マン・レイやロバート・キャパなどの写真から展示は始まる。
また、岡本太郎が日本各地をカメラを持って取材旅行し、雑誌に記事を掲載していた写真群。そのエキサイティングな文章(主に岡本敏子さんによる口述筆記)とともに、紙面をにぎわしていた。雑誌の実物、プリントをパネルにしたものが壁面に飾られていた。

印象的だったのは、やはり秋田のなまはげ、かまくら、沖縄の踊り、四国の阿波踊りなど。
目に飛び込んでくるものをめちゃくちゃに撮ってるような印象がある。
構図もなにもかまわない、素の視線の熱っぽさが伝わってくる。

ただ、わたしにはこれらの写真をみて、なんとなく物足りなさが残った。

わたしたちは、それらをもう見知ってしまっている。
秋田のなまはげがどんなものか、TVで動画を見ている。
そこには、めずらしいものがない。
当時の人たちは、交通手段が乏しいことから、遠いところの生活習慣を知る機会が少なかったろう。
これらの写真は、驚きとともに迎えられたに違いない。

でも今のわたしたちには、これらのプリントから得られる情報は少ない。
これを撮った人の興奮を感じさせることはできても。
(ここで展示テーマに深くうなづく)

わたしたちは、常にいろんなことを知らされてしまっている。
苦労して、初めて知るチャンスを多く失っている。
わたしが初めて見た植田正治の方が印象が強かったのも、そのせいのように思う。
無意識に知らされていることで、多くの感動をわたしたちは奪われている。

よかったのは、映像。
奥にスクリーンが3つ。
音声がでているのは、岡本敏子さんと、写真研究家?の方が岡本太郎の使っていたカメラについてお話しているもの。
あとの二つは、無音の字幕で、岡本太郎氏のインタビューと、岡本敏子さんのインタビューだった。

(岡本太郎は、インタビューアーが的外れな質問をすると、よくこういったという)

「シー! トゥー! トゥー! トゥー!」
「全部だ!」

全人間的に生きたいというのが彼の願いだったと。
職業とか学問の分化を嫌った。そういえば、彼は民俗学を学び、哲学も学んでいた。

トゥー=全部

人の専門を気にする人が多くて、ますます専門を分割する風潮の中で、流れに逆らっている人がここにいた。
まるごと全部、という考え方がこの展示の一番のおみやげになった。


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2006/02/04

植田正治:写真の作法

今日、恵比寿の東京都写真美術館へでかけた。
岡本太郎の展示を見に行ったのだが、違うフロアーの展示を一緒に買うとチケットが割引になると言われ、たまたま見てみた。
これがとても新鮮でよかった! 明日までなので、どうしても今日中にこのことを書いておきたい。

植田正治:写真の作法

1930年代からなる白黒写真は、新しい挑戦に満ちていた。
古い日本の風景だが、いやなぜだろう。彼らが日本人に見えない。
鳥取の出身ということで、砂丘をキャンバスに、抽象画を描くように、シュールレアリズムな表現がそこにあることに驚かされた。

これも「写真」なのか、ということを実践してみました。 - 植田正治

帰宅して、googって「世界で最も注目された日本人写真家」と知る。
植田正治写真美術館に作品の紹介があるので、ぜひご覧いただきたい。

写真を言葉で表現する愚かさを知りながら、やってみる。

◇枯花の図 古びたマットレス。3本の枯れた花が生けてある。よくみるとそれらは剣山に刺さっている。

◇砂丘。シャツをきた男性の手元に、ちいさな額縁。その中に、遠くにいる女性がすっぽり入っている。

◇砂丘。ノースリーブの黒っぽいワンピースを着た女性が、大きな傘を伸び上がってさしている。その視線の上には、ぽっかりとおおきな雲、ひとつ。

◇堤防の切れ目に立つ少年。切れ目からは、海がみえる。少年は、コップの中に入っているみたいに見える。

◇夕日を浴びたスケッチブック。何本もの赤いピンが刺さっている。そのピンの影は、スカートをはいた女性の姿に見える。

あるものを写すんじゃない。
作りこまれた表現を写真に焼き付けた作品なのだ。
自然の中で、発見する不思議な瞬間。ピンの影のような。
すごくシンプルな遠近の差で、手前のものと後ろのものを組み合わせてみることで生まれる面白さ。
日常の中で、生まれる意外な発見。
砂丘のキャンバスで描く、ダリの絵のような超現実世界。

こんな写真、初めて見た。
自分の無知がうれしい。
打ちのめされ加減がたまらん。
北風ビュービューの中、行って良かった。
太郎さんのことは、また後日。

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2006/02/01

浮き彫りになる人間像

いまの日本は受験シーズンまっさかり。
とくに中学受験。
お母様方、お子様方、がんばってくだされ。
去年のことを、遠く思い出している。

雨の中、あれこれ用事をし、暖かな部屋で、『12人のやさしい日本人』の舞台録画を見る。
『12人の怒れる男』という古い名作映画が下敷きになっている。陪審員に指名された人々が、評決を決めるまでの中で浮き彫りになる人間像を描いている、というベースはまったく一緒だ。(男、なのは、当時陪審員になれるのは男性だけだったらしい)

ここに、三谷幸喜脚本のユーモアがたっぷり味付けされる。
優柔不断で、やさしさ満載の日本人。12人の役者の個性が楽しかった。
ああ、でもライブでみたらもっとおもしろいんだろうな。

前回の記事で書いた「建前と本音」のことから、欲望について考えている。
欲望をうまくコントロールすることが、ものすごく人生にかかわってくると思えるからだ。
ほんとの欲望を隠すことが普通になってしまって、自分でも気づかなくなってるんじゃないか。
醜さも含めて、欲望と向き合えるか。
そこに表現を持ち込むこと。
小さなろうそくをともすように、なんとなくずっと考え続けている。

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