短い息、長い息
今、夜少しずつ読み進めている本がある。
草壁焔太著『散文人間・韻文人間・データ人間』である。
古今東西、さまざまな文章を、分析、ある物差し上で並べてみた文章構造論である。
帯に「家康:データ人間、秀吉:散文人間、信長:韻文人間」とある。
もちろん、それぞれの要素も持っているのだが、ある要素が強いとその傾向のタイプの人間ということになる。
韻文と散文の違いについて、読んでいて、文章を書くときの動機を短い息でぶつけて書くようなタイプが韻文なのかも、と感じた。散文、たとえば小説は、うしろにほの見えるテーマにたどりつくまでとても息が長い。
巻末に、自己分析のためのテストや、詩歌人のみならず、政治家や歴史上の人物、プロ野球の監督まで分析した結果がのっている。
それにしても! これだけの人たちの文章を読んで分析した読書量、調査量がすごい!
自分の文章タイプを知ることは、役に立ちそうだ。
なんとなくそうだなーと思っていたことが、はっきり言われるとすっきりすることに似てる。
占いのようでもある。
それをプラスに生かせる方向をすすむ人もいれば、すすむ方向を変えようと思うかも。
たった五行の歌でも、短い息、長い息がある。
短い息で書くタイプの人は、作品すべてが短い息のことが多い。長い息の人もおなじ。
その作者のもつ、韻文度、散文度、データ度で、それらは影響されるのだろうなと思った。
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