おばかでない真剣を考えた
「真剣」っていうことばの意味は、漢字からもわかるように、
1)本物の刀、
2)本当の刀を使った勝負のように、人を殺めるか殺められるかぐらいの極限に立たされるくらい本気、だということだ。
ここでは、2)の話。
先日の「いかレスラー」の話から、「おばかで真剣」ということを書いて、「おばかでない真剣」を考えたくなった。
以下、いつものように自分との対話。
おばかでない真剣は、痛い。
痛くて厳しい。
緊張をともなう。
集中している。
ほかのものが見えない。
恐怖心との戦い。
情熱で燃えている。
嘘がない。
ふざけない。
笑えない。
◇ ◇ ◇
こう考えてゆくと、「真剣さ」を人に強制するのはむずかしいことだとおもった。
「真剣」とは、自らが進んで手に取るものだ。
いつのまにか集中して、無意識に入り込んでしまう絶壁だ。
真剣な人は、回りも自分と同じように真剣じゃないと不満だ。
でも真剣の持つあれこれを考えると、押し付けるものじゃない。
自ら真剣の覚悟を持ったもの同士だけが、真剣勝負ができる。
ひとりじゃできない。
なぜか真剣を考えると、純粋さ、素直さ、ということばも浮かぶ。
それはわたしの好きな世界のことばだ。
だから真剣は、自分にとって厳しくて痛くても、魅力があるような気がした。
ああ、でも笑いたいけどね。
どっかでそういう自分も笑い飛ばしてやりたい。
だって、こっけいなんだもん。
やっぱり「おばかで真剣」路線が好きなんだ。うん。
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コメント
◇道子さま
このコメントは、この記事へのコメントではないような気がしますが、お返事しておきますね。
実際の歌会では、匿名性はないので、ネットでの歌評のことですね。
辛口な評でもむしろ聞きたい、と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、でもどなたからの評か、は知りたいですね。
五行歌に対する目的とか意識がお互いに合ってないと、辛口コメントも無神経に響くこともあるでしょう。
ウタを読むときは、その方の思いを大切にしたいなと思います。その思いをまっこうから否定するような評は、してほしくないなと思います。
特にお年を召した方や、ご病気のかた、障がいのある方は、ウタの出来がどうの、というのはもはや関係ないでしょう。
詠うことで、気持ちを吐き出して安らいだり、泣いたり笑ったりすることに意義があるように思います。
みなさん、いろんな経験、思いをお持ちなのですから尊重しあえるといいですね。
投稿: しづく | 2005/09/19 22:53
私の一番嫌いなこと
匿名辛口
五行歌は皆で広めることの邪魔をすること
なのです。
素直に詠んでいる方がたくさんいるのです。
そのような方を一番大切にしたいのです。
投稿: 道子 | 2005/09/19 12:49