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2005/09/29

読書の秋

飛蚊症にもかかわらず、わたしは読書が好きだ。
いま読んでいる本。

◇『行く先は晴れやかに あるいは、うろ覚えの詩が世界を救う』 ヴェンデラ・ヴィーダ

◇『小説の自由』 保坂和志

その他、推理小説1、料理関係1、歌集1。
パラレルにそのときの気分で本を変えながら同時進行で読んでいく。
ただし、夢中になっていっき読みする名作はのぞく。

『小説の自由』は画期的な本だ。
小説論、と紹介にあるが、ほんとにおもしろい。
作家、保坂和志の小説の作り方、考え方、読み方、方法論がくわしくわかる。
いっぺんに何ページも読めない。
すこしずつ読んでいる。

説明が多く、論理的な流れがあるので、簡単にこういう本、っていいにくい。
ひとつのことを導き出す、プロセスを丁寧にかいてくれてそれがおもしろい。
実は、わたしは保坂氏の小説を読んだことがない。
なんとなくいままで縁がなかったのだ。
たとえば、こんなことが書いてあり、そうだ! とはたと手を打つ。

引用は、なかば自動的に真理として機能する

そうさ、説得力を増すために引用するのさ。
おもしろいなー。まだ167/360ページ。
秋の夜は長い。


 ◇ ◇ ◇

ちなみに、『行く先は 晴れやかに あるいは、 うろ覚えの詩が 世界を救う』は、
背が五行になってる。もちろん、タイトルに惹かれて手にしたのは言うまでもない。
でも『小説の自由』によると、このようなタイトルのつけかたは、こっぱずかしい一例。
それにつられるわたしも、こっぱずかしい。
内容は、娘がぱらぱらめくろうとしたら、「ちょっとまった! それはおすすめじゃないよ。」と隠すようなたぐいの。(笑)

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2005/09/28

天高く 飛蚊症の黒点よ 飛べ

秋ですねぇ。
飛蚊症、まだ直らず。
青空を見上げると、いっぱい飛び回ります。<いいのか?
そこで一句つくってみた。

◇天高く 飛蚊症の 黒点の飛ぶ

      いや、不自然か? 技巧的か?

◇天高く 飛蚊症の黒点よ 飛べ

      うん、呼吸が五行歌っぽくていいな。

太極拳の帰り道。
道をふらふら歩きながら、考え事をしていたら、するするウタが何度も降りてきた。
そのたび、メモ帳に書き留めて。

即詠とかってぜんぜんできない。
題詠も苦手。
こういうとき、即詠してもらうと、すいすいなのに、そうはいかない。
不便だ。

でも不便なのもすきだ。


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2005/09/27

しづくあん

shidukuan
24日の歌会のときに、百楽天さんから「しづくあん」というおだんごをおみやげにいただいた。
創業文政二年の羽二重団子さんの逸品。(←このサイトの真ん中の写真の串団子のみたらしとあんも歌会に差し入れてくださり、とっても美味でした。)

一口大のあんころもちが、ひとつひとつ雫の形になっていて、きれいに並んでいる。
感激。
パッケージもすてき。
記念にぱちり。
ありがとうございました。(*^^*)

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2005/09/26

ここから、いまから。

昨日のことをずーと頭の中でころがしている。
いくつか思いついたことのメモ。

・選者というのは、広い間口を持っていることが多くのうたびとを救う。
 (間口というと誤解があるかもしれない。知識とか将来を見据える目とか心の広さみたいなもの)

・ときどき、「千年先でも残る歌が詠みたい」、という方がいらっしゃるが、わたしはそう思わない。
 千年残ったかは、結果だ。
 最初から千年残ろうと思ったわけじゃないんじゃないかな。

・わたしたちの先輩は、どういう時代を生きて、どういう歌を詠んできたか。
 わたしたちは、どういう時代を生きて、何を詠うか。

・時代をよめ!

・自分を救え!

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2005/09/25

短歌ライブ「戦後と短歌」

娘の運動会と重なって、午後から遅刻して見に行こうかと迷いつつ予約していた辰巳泰子さんの短歌イベント「戦後と短歌」
娘の運動会は、台風で延期になった。
これは、神様が「行け」と言ってる?

新宿百人町のネイキッドロフトは、とてもこじんまりした感じのよいライブハウスだった。
ステージの台は、たたみ3畳くらいしかない。
こじんまりといえども、さすがに照明や音響設備はちゃんとしてる。

見てきたもの、聞いてきたものをそっくりうつす気はない。
あそこへ時間とお金とエネルギーをかけて行った人だけが共有できるのが、ライブだと思うから。
ライブだから話してくれることがあったから。
わたしの感想だけ書いておきたい。
(※ほぼ帰宅したての、脊髄反射文章から、9/26少し修正しました。)


◇第一部 「戦後と短歌」篠 弘 × 岩田 正

 篠氏は、短歌を読む人なら誰でもご存知だと思う。岩田氏は、馬場あき子氏のパートナーと聞く。
 岩田さん(と呼びたい)。ふんわりと座ってるお姿を拝見しただけで、この人を好きになった。
 お話が始まったら、もっと好きになった。
 塚本邦雄の作品を手書きのプリントにして配布、解説してくださった。
 キーワードは、危機感
 21世紀は、もはや孤独は常識。そこから立ち上がるものの輪郭がぼんやりと遠くにゆれた。


◇第二部「これからの短歌」 奥村晃作 × 枡野浩一

 奥村さんは、「ただごと短歌」の提唱者。一方、枡野さんは、「あらすじ短歌」はだめだといい続けてきた。
 よくこの組み合わせが成り立ったなーと思ったが、奥村氏はものすごくこだわりのないおもしろい方だった。
 奥村さんの語りは、熱っぽくて生き生きしていて、この人が書いたからあの「ただごと歌」なんだ、と合点がいった。
 ほかのキャラクターじゃだめかもしれない。

 枡野氏は、ウェブ上で展開される投稿形式のやり方で悩んでいるようだった。
 わたしが口出しすることではないけど、率直な感想を言わせてもらえば、
 「枡野さん、こんな短歌好きでしょ?」って投稿される短歌は、だめだと思う。
 これは、「枡野さん」のところに別の選者を当てはめてみても、同じこと。


◇第三部 『セイレーン』 朗読 辰巳泰子
 
 舞台のわきから、朗々と歌声が響いた。
 ♪し~んだ~おとこが~の~こしたものは~
 後から谷川俊太郎の詩だったと聞く。
 これから始まるテーマを象徴しているようで、まだ朗読が始まる前から、いつしか涙がつぅーつぅーこぼれてしまうのをどうしようもできなかった。

 朗読の間も、何回も泣いた。外でお神輿がピーピー通ろうとも集中できた。
 辰巳さんは、息子さんに「あなたは男だから」と言われたようだけど、わたしはそうは思わない。
 あなたの歌の中に潜む、母性的な愛情が、わたしを泣かせたのですから。


◇おまけ
 佐々木あららさんの姿を見つけ、一部、二部で拍手している姿を見ていたら、あのジョジョ読みの無謀さは、なにかの決心だったのかと勝手に想像してみました。はずしてたらごめんなさい。

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2005/09/24

茂木先生の授業

今晩、やります。

『世界一受けたい授業』2時間スペシャル
日本TV
2005年9月24日(土)午後7時〜8時54分
 4時限目 茂木健一郎
   「アハ! 体験」

前回見逃した方、必見です。
茂木先生のすばらしさを知ってください!

しか~し!
わたくしは歌会なのでございます。
ライブ(録画だけど)は無理なのでございます。
しっかりと録画させていただきます。

 ◇ ◇ ◇

先生の「クオリア日記」9/24 ネット上の正負の法則をぜひご覧いただきたい。

私自身は愛に生きたい。

先生、あいしてます。

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2005/09/22

トダ・チロタン

修行中なのだ。
でも・・・・あまりにかわいくてがまんできないのだ。

9/21朝日新聞朝刊にのったこの記事。
「迷いインコ、住所・氏名を名乗って無事帰宅」

盛岡市で迷子になったセキセイインコのチロタン。
迷子先で、住所と名前をしゃべったという。
名前がまたいいんだ。
「チロタン」

チロタンは無事に飼い主の下へ帰れた。
めでたしめでたし。
老後にインコを飼うのもいいなぁと思った。
もちろん名前と住所を教えるのだ。

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2005/09/21

修行中

あと数日で歌会です。
歌会事務でちょっと忙しくなります。

歌会前は、雑念を払って心を研ぎ澄ませたいのです。

山に籠ります。
滝に打たれます。<ウソ

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2005/09/19

おばかでない真剣を考えた

「真剣」っていうことばの意味は、漢字からもわかるように、
1)本物の刀、
2)本当の刀を使った勝負のように、人を殺めるか殺められるかぐらいの極限に立たされるくらい本気、だということだ。

ここでは、2)の話。
先日の「いかレスラー」の話から、「おばかで真剣」ということを書いて、「おばかでない真剣」を考えたくなった。
以下、いつものように自分との対話。

おばかでない真剣は、痛い。
痛くて厳しい。
緊張をともなう。
集中している。
ほかのものが見えない。
恐怖心との戦い。
情熱で燃えている。
嘘がない。
ふざけない。
笑えない。

 ◇  ◇  ◇

 こう考えてゆくと、「真剣さ」を人に強制するのはむずかしいことだとおもった。
「真剣」とは、自らが進んで手に取るものだ。
いつのまにか集中して、無意識に入り込んでしまう絶壁だ。

真剣な人は、回りも自分と同じように真剣じゃないと不満だ。
でも真剣の持つあれこれを考えると、押し付けるものじゃない。

自ら真剣の覚悟を持ったもの同士だけが、真剣勝負ができる。
ひとりじゃできない。

なぜか真剣を考えると、純粋さ、素直さ、ということばも浮かぶ。
それはわたしの好きな世界のことばだ。
だから真剣は、自分にとって厳しくて痛くても、魅力があるような気がした。

ああ、でも笑いたいけどね。
どっかでそういう自分も笑い飛ばしてやりたい。
だって、こっけいなんだもん。
やっぱり「おばかで真剣」路線が好きなんだ。うん。

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これだけは言っておきたいんですよ!

わたしのインターネット歴は、8年めになる。
サイトを開いてからは7年め。
ここまでやってこれたのは、もちろんサイトに来てくれるお友だちのおかげもあるが、自分自身に課してるルールも大事だと思っている。
そのいちばん大切なこと。

(オンラインでもオフラインでも)自分のことを知っている人がいる場所で、「しづく」だとわからないハンドルでは絶対書き込みをしない。

これ、簡単なようで、むずかしいことなんですよ。
だいたい匿名を使いたいときは、書いたことの責任を逃げたいときでしょ?
匿名を使わないということは、責任を持つということ。
ネットは、わたしにとって大事な場所だから、必ず記名で書きます。
記名で書くことにより、記事の内容も変わってくると思うのです。

それでも後で削除申請したくなることもあります。
でも書いたのも私、削除したのも私、という恥をさらすペナルティーは受けるわけですから。
こんどは気をつけようと思うわけで。

♪だから素敵なあなたよ~
 分かち合ってくれないか
 美しき人間の日々~ 美しき日々~♪ byサンボマスター

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2005/09/17

14番目の月

明日は中秋の名月。
そして今夜はその前の日の「14番目の月」
待宵月。

今日は限りなく新橋に近い銀座で、限りなく食べ会に近い飲み会へ行ってきました。
つきがきれいでした。

♪じゅう~よ~んばんめの~
 つきが~いちばんすき~♪ by Yuming

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いかレスラー

わたしにとって、土曜日の朝は平日と変わらない。
6時過ぎにはおきて、お弁当を作り、娘を送り出す。

いつものように娘と二人でTVをつけながら、ぼぅ~とパンを食べていた。
するとそこへ、いつもは7時半になって起こしても起きられない夫が、まだ7時前なのに、ずかずかやってきた。
テーブルにつくと、いきなり彼は昨晩見たらしい「いかレスラー」について語りだした。

「いかレスラーってすごいB級映画なんだけど、傑作なんだよ・・・」
「修行でいかに変態したレスラーが戦う話なんだけどね・・・」
「煩悩がうずまくと人間に"退化"しちゃうんだよね・・・・」
わたしと娘は、目を線にしながら聞いている。

(・・・なんでこいつは朝っぱらからこんなに熱く語るんだよ)

でも話を聞くうちに見たくなってきて、「じゃあ、見てみようかな」と言うと、
「あーもー消したから!」
「!」
(うちはハードディスク・ビデオなので、見たら消すことが多いのです)

私「こんなにあおっといて、消すのはないんじゃないの!」
夫「えーっ。だってあなたがこんなくだらない映画に興味を示すと思わなかったからさー」
私「・・・・」

わたしが興味を持ったのは、「真剣でおバカ」という点だ。
真剣さとおバカは正比例のように相乗効果が上がり、上がれば上がるほど笑いが炸裂するのを知ってるからだ。
バカなほど、真剣で、真剣なほど、おバカ。
これほどおもしろいものはないのだ。

あー。いかレスラーの紹介をみたらますますみたい。
腹がよじれるほど笑いたい。
ひーひー! <意味不明。

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2005/09/14

IP電話

今日、新しいADSLモデムが来た。
キャンペーンで無料交換してくれたのだ。
今まで8Mの契約だったのが、50Mに追加料金なしで変更してもらえるという。
こころなしか、さくさく感が・・・。

で。
IP電話がデフォルトでついてるのです。
無料でかけられるIP電話もいっぱいあるのです。
みなさんはIP電話って使ってますか?
料金としてはかなり安いです。
もし使ってるよ~という方、教えてください。

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2005/09/11

さわれないものを伝えること

土曜日、いつものパソボラへ行った。
お部屋に入ると、点字付の絵合わせカードが机いっぱいに広がっている。
小4と中2の姉妹がこれで遊んでいた。
お姉さんは弱視ぎみである。二人は点字の練習をしたり、パソコンをさわりにきている。

このカードは、子ども用に点字とものの形を教える目的で作られたそうだ。
しかし、動物の形がこまかくて、うっすらくぼんでいるのだが、なかなかわかりずらい。
このカードから、先天的に目のみえない子どもに、どうやっていろんなものを教えるかという話になった。

とくに、さわれないものがむずかしい、と。

手近なものだったら、模型を使うのもいいかもしれない。
実際にさわって、形とか感触とかを感じてもらえる。
でも、さわれないもの。
たとえば空に浮かぶ雲はいったいどうやって教えるのか。

わたしたちは、言葉からイメージを浮かべることも多い。
しかし映像をみたことがない彼らは、イメージをどうやって作るのだろうか。
手に触った形は、あたまの中で描けても、触れないものは?

おそらく触ったことのある感覚のなかで、似ているものをつなぎ合わせてつくりあげるしかないだろう。
そしてそれは、言葉で。

雲だったら、綿を丸めたものを渡して、
こういうふわふわとした白い形のものが、空に浮かんでいるの。
これは水蒸気の塊だから、さわっても重くない。
つかもうとおもってもつかめない。
雨のもとになる雲は黒い。

いや、だめだ。
色がわからない。
これはクオリアの世界だ。ことばだけじゃ伝えられない。

でも。
ことばの限界の限界までいけるはず。
伝える限り伝えたいと思う。
こういうことを、目が見える人にも。

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2005/09/07

「静物としての耳のために」 寺本美貴 個展

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昨日先生の机の上に、すてきなハガキがあるのに気がついた。
思わず手にとって見ると、寺本美貴さんの個展のご案内であった。
まぁ、まぁ、なんてすてき。

寺本美貴さんは、書家であり五行歌人でもある寺本一川さんのお嬢さんで美大生である。

この週末荻窪でその個展は開かれる。
時間がとれたらぜひ行ってみたい。
みなさんもいかがでしょう。


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「静物としての耳のために」 寺本美貴個展

◇開催期間  9月9日(金)~9月13日 (火)
◇場所     cafe&gallery ひなぎく(荻窪)
◇時間     平日  14:00-23:00
         土日祝 12:00-23:00
         水・木曜日定休

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 ※ひなぎくの入り口はけっこうわかりにくいです。
  線路沿いに、荻窪白山通り商店街の中をずっと抜けていって、
  1Fが「かっぱや」という古着のリサイクルショップです。
  かっぱやの入り口の左端に階段があって、そこを上ると「ひなぎく」です。
  看板は、階段の右側にあり、正面から見ても、見えません。
  ご注意ください。<迷った人より

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体の反逆

昨日は突然の胃痛に襲われ、脂汗がでた。
会社を早退して家に帰ったら、熱がある。
シャワーで冷や汗を流してすぐ寝込んだ。
胃痛は波があって、痛むときは「いたーーー!」と叫びたくなるほど痛い。
暖かいものをとろうとココアを飲むが、さらにひどい症状へ。
夫にメールして早く帰ってきてもらうように頼む。

夕飯のしたくや後片付けも夫にたのみ、寝ていた。
夜になったら、熱も少しさがって、痛みがひく。

具合が悪いときは、体の自分が反逆してるみたいだ。
「ふだんおいらを無視してるだろう。たまには暴れてやるー!」
精神の自分はただただひれふしている。
「おお、体さま、言うとおりにしますから、どうか、どうかお静まりくださいませ」

今日は太極拳の日だが、風も強いし、まだ頭があついので休む。
でもこうしてPCの前にいられるってことは、そんな悪くない。
・・・と思ってるときっと体さまの反逆がくるので、早々にきりあげる。
ほんとに書きたい記事はつぎのことなの。


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2005/09/02

うつくしきマーブル模様のために

(本記事は、純ちゃんのブログで、「これからのAQ」という記事へのトラックバック用に書きました。)

いままで6~8人くらいのAQ歌会が、ここ3ヶ月で急に倍になった。
わたしは小さな歌会が好きなので、とまどいと不安を感じていた。
この不安感っていったい何なのか、じっくり向き合って分析したいと思ったのだ。

AQがすきなのは、やっぱり代表の水源純さんをはじめ、メンバーがいいから。
一人一人が個性的で、確信があって、いい歌をだしてくれる。
一首一首ていねいに読んで、いいところも悪いところもすなおに話し合える。
ときには矢のように鋭い洞察もあり、妄想の翼が広がったりする。
それらは参加してくれる人の持ち味で、それらがマーブル状にまじりあい(前述記事参照)、とけあい、分かち合われるのがうつくしいのだ。

人数が増えて不安になるのは、いまの雰囲気が変わらないかっていう心配が大きい。
ひとつは単純に、人数が少ないほうが、じっくりたっぷり話せる。
人数が増えると一人当たりの発言に制限ができてしまうし、なぜ点を入れられなかったか、についてほとんど触れられない。
 自分がそういう司会しておきながら言えた義理ではないが、まだ続きそうなコメントを切り上げてしまったり、脱線できないのはなんだか貧しいし申し訳ない。

ほかには。
このところ毎回新しいメンバーが複数人数増え続けた。
この未知の人を受け入れる不安。
歌を歌会に出すということは、ある意味自分の裸を見せるようなものだ。心の奥の袋をひっくり返してみせているのだ。よく知らない人に対してそういうことをしあうのは、やはりある種のストレスになる。

初めて歌会へ参加される人がこわいのは当然だが、受け入れる側もこわい。
でも歌を通してその人が見えてくると、やっとそこに細い一筋の信頼の糸が張られる。

これはたぶんにわたし個人の偏屈な性格にも起因する。
もっとオープンでウェルカム気質な方だったら、これらのことは「何をおっしゃるうさぎさん」だろう。事務局としても、「どうよ?」(すみません)

あれこれ考えているときに、以前東大阪五行歌会代表の稲田準子さんが書かれていたこの言葉を思い出した。

褒める・褒められるの関係でもなく。 歌会の事務の中にある役割に、 自分の居場所をつくるのでもなく。

自分の歌で、歌会の居場所を開拓してほしい。
(1位の歌を作れ、という意味ではないですよ)
まずそこを、自分の力で開拓してほしい。

そうだよな。自分の歌を誠実に詠い、ほかの仲間の歌も誠実に読む。
そこをわたしの居場所にすればいいのだ。
これらの言葉を、お守りのように握り締め、繰り返し心でつぶやいてみる。

歌会は、どんなベテランさんでも同じ条件で歌を読みあう。
そこには力関係はない。
馴れ合うこともない。
頼れるものは自分の歌と、自分の読みしかなくて、しずしずと覚悟を持って歌を差し出すしかない。
そんなふうに五行歌に真剣に向き合う人に選ばれる、AQでありたい。
いや、五行歌にっていうより、もはやその人それぞれの生き方の真摯さかもしれない。
わたしたちは、ウタを通して生き方を学んでいるのかもしれない。

自分の芯をきちんと立てることができれば、これからもAQはうつくしいマーブル模様を描き続けるだろう。

だいじょうぶ、マイ・フレンド。

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