創作に関するノート(その2)
歌を詠んだり、ほかの方の作品を深く読み取れるようになるには、どうしたらいいのか、いったい何が必要なのか、という疑問は誰しも、考えることだろう。
「量をこなす」
先生のおっしゃる「古典を学べ」も含めて、ひとつはこれではないか。
あれこれ考えているが、まだ結論はでない。
「コレだ!」と歌ができるときって、奇跡じゃないかと思うことがある。
いろんな偶然からこの歌は成り立ってると。
ちょっとした言葉の組み合わせに過ぎない、五行の歌が、予想もつかない展開や響きを生み出すことを。
では、その歌は、どうやって生み出したのだろうか?
話をわかりやすくするため、例をあげてみる。
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鳴 亀 ふ と い
く り き つ
し お も
ぼ り は
る だ
し よ ま
づ う っ
く に て
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1)わたしは亀を飼っている
2)世話をしている間に、亀が鳴くことに気がついた
この2つの事実からある日抽象が導き出されて、ぴたっと重なった気がしたとき、この歌が舞い降りた。
できた後、ほとんど推敲も必要としなかった。
次にもこんな歌ができるか、と問われたら、「わからない」
この感覚は、突然舞い降りるから、予想ができず、いつも小さいノートを持ち歩くはめになる。
技術を使ったとしたら、仕上げの段階だ。
技術に関しては、本や実作から多くを学べるだろう。
でも舞い降りる「芯」の部分を生む技術は、わたしにはない。
◇ ◇ ◇
そもそもわたしは、ひとつのことを理解するのに、数日、あるいは何年もかかる。
(家人いわく、ふだんのわたしはよく「のんきだねー」と言われる。)
それは山の上のほうで降った雨が、山の内部の地層を何層もくぐりぬけて、やっとどこからか湧き水となってでてくるのに似てる。
そうだとしたら、わたしにできることは、「雨」を求めること。
よりよい湧き水のために、豊かな土壌をつくり、層を重ねることかと思う。
ここでいう「雨」は、知的好奇心。
本、音楽、アート、映画、人との会話、TV、インターネット、etc・・・
「地層」は、まいにちの暮らし。
よく学び、よく考え、働き、遊び、ご飯をつくって食べること。
そういうすべてが、ウタの土台へつながってるように思える。
そう考えたら、ちっとも奇跡なんかじゃないんだ。
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