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2005/08/31

創作に関するノート(その2)

歌を詠んだり、ほかの方の作品を深く読み取れるようになるには、どうしたらいいのか、いったい何が必要なのか、という疑問は誰しも、考えることだろう。
「量をこなす」
先生のおっしゃる「古典を学べ」も含めて、ひとつはこれではないか。
あれこれ考えているが、まだ結論はでない。

「コレだ!」と歌ができるときって、奇跡じゃないかと思うことがある。
いろんな偶然からこの歌は成り立ってると。
ちょっとした言葉の組み合わせに過ぎない、五行の歌が、予想もつかない展開や響きを生み出すことを。

では、その歌は、どうやって生み出したのだろうか?
話をわかりやすくするため、例をあげてみる。

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  鳴 亀 ふ と い  
  く   り き つ  
      し お も  
      ぼ り は  
      る   だ  
し     よ   ま  
づ     う   っ  
く     に   て  
             
             

---------------------

1)わたしは亀を飼っている
2)世話をしている間に、亀が鳴くことに気がついた

この2つの事実からある日抽象が導き出されて、ぴたっと重なった気がしたとき、この歌が舞い降りた。
できた後、ほとんど推敲も必要としなかった。
次にもこんな歌ができるか、と問われたら、「わからない」

この感覚は、突然舞い降りるから、予想ができず、いつも小さいノートを持ち歩くはめになる。
技術を使ったとしたら、仕上げの段階だ。
技術に関しては、本や実作から多くを学べるだろう。
でも舞い降りる「芯」の部分を生む技術は、わたしにはない。

  ◇ ◇ ◇

そもそもわたしは、ひとつのことを理解するのに、数日、あるいは何年もかかる。
(家人いわく、ふだんのわたしはよく「のんきだねー」と言われる。)

それは山の上のほうで降った雨が、山の内部の地層を何層もくぐりぬけて、やっとどこからか湧き水となってでてくるのに似てる。
そうだとしたら、わたしにできることは、「雨」を求めること。
よりよい湧き水のために、豊かな土壌をつくり、層を重ねることかと思う。

ここでいう「雨」は、知的好奇心。
本、音楽、アート、映画、人との会話、TV、インターネット、etc・・・
「地層」は、まいにちの暮らし。
よく学び、よく考え、働き、遊び、ご飯をつくって食べること。
そういうすべてが、ウタの土台へつながってるように思える。
そう考えたら、ちっとも奇跡なんかじゃないんだ。

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2005/08/30

創作に関するノート

インターネット上だけで、五行歌を発表してる人ってけっこう多いんだろうなと思う。
わたしも五行歌の会に入会する前の3年くらいは、その中の一人だった。
ネットにただウタをおいておいても、見てくれる人はそうそう多くないし、ましてやコメントをいただくことなんてめったにない。

創作活動とか表現は誰のためにするの?

自分の趣味? 好きだから? 日記? 自己満足?

表現って、人に見てもらうもの。
一人じゃ表現って成り立たない気がしてる。
メッセージは人に伝えるためのもの。
そこんとこは、きっちりしたい。

読んでくれる人がいて、作品のループは完成される。
自分のためだけなら、ネットに出す必要なんてない。
ネットで発信すると、想定しない人にも届いちゃうこともあるかもしれない。
でもあれこれ気を使って、表現を直しすぎると、魂が死んじゃう。

魂は燃やしてあげたい。
思いは成仏させたい。
それが誰かに届いたら本望だけど、あまり期待しすぎないほうがいいみたい。
(注:自分のできる最大限の伝える努力をしたとしても、です。)

ときどき「奇跡みたいだ!」と思うことがある。
ウタの成り立ちについてだ。
それに関してはまた今度。

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2005/08/24

『君たちはどう生きるか』

このところ毎日ちびちびと味わいながら読んでいる本。
わたしの持ってるのは、岩波文庫。吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』
最初に書かれたのは、1937年という。
でも書かれていることは永遠に色あせない。

中学生のコペル君のエピソードとそれに対する叔父さんの「おじさんのノート」という考察。
この対話の感じは、「ソフィーの世界」に似てる。いや、もちろんこっちが先だ。
哲学はいつも対話からはじまる。

こういう本を読んでいると、あれこれ手をだしても、本当に全身がしびれるように打たれるのは結局「哲学」ではないかと思う。
映画にせよ、マンガ、アート、音楽、あらゆる創作物は、哲学に帰結するとさえ思う。
哲学を感じさせない作品は、なんとなく物足りない。
もともと論理的にうつくしいものが好きだ。
雰囲気だけで逃げるのはずるいと思う。

本にはめぐり合わせがある。
読むべきときに出会う本がある。
この本は、娘に、子どもたちに与えたい。
一生の宝物になる一冊だろう。

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しづくの本棚へ追加

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を入荷しました。
感動しました。
すばらしい傑作。子どもたちへ伝えたい宝物の一冊です。

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2005/08/22

トークイベント考

先日も日記に書いたが、8・20は、岡本太郎記念館へ行った後、、青山ブックセンターのトークイベントへ出かけた。

辰巳泰子さんの第五歌集『セイレーン』の出版イベントで、枡野浩一さんとお二人で題詠「愛」の投稿された短歌を選したり、お二人の体験談とかゆるい感じで話があった。

わたしがこういうイベントに行くのは、まずひとつは単純に興味があるから。
今回は、辰巳泰子さんのことを知りたかった。
彼女のブログや日記をみていて、彼女の価値観をそれなりに把握していたが、本物の生身の彼女の発言を実体験したかった。
いくつかの埋まっていないジグゾーパズルのピースがはまったように思う。
それが全部ではない。
そんなにいっぺんに埋まるものではない。(そんなのつまらない)

もうひとつは、五行歌でも似たようなことができないだろうかと考えているからだ。
五行歌を詠まれる方の中に立派な歌集を上梓されているかたがぐんぐん増えている。
辰巳さんは、朗読ライブをされているようだが、同じようなことができないのだろうか?
今回、辰巳さんの選のいくつかの歌を朗読されていたが、それぞれの歌の個性を汲み取ってとてもエモーショナルに表現されていた。泣きそうになった。

五行歌とか短歌とか分けたがったり、人のひっぱりあいなんてしてる場合ではない。
けっきょくわたしたちは、胸を打つ、生きるうえで宝物になるような歌が詠みたいし読みたいだけなのだ。
五行歌にはそれだけの価値があるから(笑)、もっといろんな展開ができるはずだ。

◇ ◇ ◇

辰巳さんや枡野さんのゆるい会話の中で、ときどきはっとするような発言があった。
ほんとは辰巳さんのライブに行きたいのだけど、25日はこどもの運動会がある。いけないだろうな・・・。
辰巳さんの『セイレーン』を買って、サインをしてもらった。握手もしてもらった。

あいしてる なんの誉れもない場所で あなたに言へる 生き方を する
                                          (辰巳泰子)
                         『セイレーン』 愛-なんの誉れもない より
わたしはこの歌が一番好き。 「なんの誉れもない場所」は、主婦として生きたことのあるものにとって胸を打つ言葉だ。 わたしは1年育児休業をしたとき、社会から取り残されたような寂しさをぬぐえなかった。 何者でもない自分を感じていた。 誰もほめてもらえない主婦や母としての裏方のしごと。 でもそこでこそ、愛を持ち続けることがすばらしいのだと気づいたのは、ずっと後のことだ。 それを歌にしてもらえてうれしかった。わたしの中のひとつの思いが成仏したと思った。

それにね、この区切り。五行歌になってるんです。おそらく偶然でしょうけど。
辰巳さんは、朗読されるから自分の歌の呼吸がわかっていて、それで自然に区切ったのだと思います。

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2005/08/21

岡本太郎記念館

東京青山に、岡本太郎がアトリエにしていた建物をそっくりそのまま記念館として残した「岡本太郎記念館」がある。いつか訪れたい、訪れてできたら岡本敏子さんにお会いしたいと思っていた。
それはかなわなかったけれど、お参りのような気持ちで、8/20訪れた。
ここは写真を撮っていい、と聞いていたのでデジカメ持参。

futari

msg

2階へあがると、数点の作品、敏子さんの使っていた文房具、メモなどがある。
おくの部屋に行くと、敏子さんの葬儀の際に訪問者が残したメッセージがびっしり壁に貼られている。
その笑顔をみていたら、思わず泣きそうになる。

living

atorie

1階にはアトリエがあり、居間や庭にもオブジェが飾られている。
明日への神話の復旧プロジェクトが進行していて、募金箱へ募金もできた。
メッセージも残してきた。
庭の鐘をそっとたたきながら、心の中で手を合わせる。
あなたたちからもらったものは、忘れない。

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2005/08/20

おみやげ写真

ものほしのところにいた、うすばかげろう。
フラッシュをたいてもじーとしている。
羽がうつくしい。
usuba


これがからすうりの花。
夕方までくちゃくちゃとした糸だまのように丸まっている。
日が陰ると徐々にほぐれてきて、夜に全開になる。暗いので、懐中電灯を照らしています。
ちょっとホラー風? レースのように繊細な花。
karasuuri

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2005/08/19

ロック魂

自分、たぶんおばかです。
どうしようもなく駆り立てられるものがあるとです。
自分を止められないとです。

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 ◇ ◇ ◇

PC、もどってきました。
ウィンドウズアップデートに3時間もかかったとです。
夕方5時からやりだして、今11時半です。
まだやりたいことがいっぱいあるのですが、これをやったらきっと満足して寝れるだろう。
明日は、6時起きです。
でもイベントいくとです。
楽しみ♪

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2005/08/18

五行歌6首追加

月刊『五行歌』や歌会に出した作品を6首追加しました。
脈略ないですが、とりあえずとりあえず。

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2005/08/17

PC 再故障 & 五行歌4首追加

メインPCは、また入院しました。
サブノートでがんばっています。
サンボマスターの情熱に触発され、五行歌を更新しました。
わたしが詠うのは、やっぱり誰かに読んでもらいたいからで、五行歌本誌を購読してない人にも、読んでもらいたい。
思いを届けたいからサイトをやってるわけで。
魂こめて歌つくってるわけですよ!
どうか、みてやってください。m(_"_)m

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2005/08/15

衝撃のサンボマスター

以前大好きな友だちから、「サンボマスターのセカンドアルバムは素晴らしい!」と聞いていた。
Mステの着うたランキングにもその名はあった。
フジテレビ系ドラマ「電車男」の主題歌 「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」がヒットしていることも知っていた。
NHK教育トップランナーに彼らが出た再放送を昨日新聞で見つけ、録画しておいた。

一人で昼間それを見た。
わたしは初めてサンボマスターに出会った。
はじめまして。
ようこそ。

数分後のライブを見て、番組中なんども嗚咽していた。

某コミュで「岡本太郎の後継者はだれ?」という問いかけに「サンボマスター」と答えた人がいた。
今日初めて、その意味がわかった。
彼らはロックを「生命の放射」と呼び、「魂を爆発させる」ステージを見せつけてくれたのだ。

彼らのビジュアルはあまりいただけない。

それがステージでは、狂ったように本気で、
むき出しで、
爆発で、
リアルで、
絶叫で、
みにくくて、でもうつくしくて
ただただ胸にあふれてくるものに、涙を流すしかできなかった。

最高に下品で
最高にロマンティックな
ロックンロールをやりたい

彼らの音楽は
わたしに
ことばよりも早く
涙をあふれさせた

愛と平和を叫ぼう。
サンボマスター!
サンボマスター!
サンボマスター!
サンボマスター!

◇ ◇ ◇

トップランナーサンボマスターの再放送は、8月18日(木)24:00~24:44(NHK教育)
にまたやるようです。よろしかったらあなたもぜひ、サンボマスターに出会ってください。
気に入るかどうかは知らない。(^^;;;

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ミョウガの花

夫実家に帰省中です。

きのう生まれて初めて、みょうががどうやって生えてるのか、見せてもらった。
みょうがは、地面からたけのこみたいに生えてくる。
MYOGA
その先端からしろい花のつぼみがピクミンみたいに伸びている。
花の下を掘り起こすと、ひとつみょうがが埋まっている。

種ではなく、地下茎で増えるところも、実の構造もたけのこに似てると思った。
みょうがって、茎の根本の芽のようなものかと思っていたので、感激した。
こちらにくると、わたしは小学生のようになってしまう。

からすうりの花が夜咲くこと。
おしろい花が夕方から咲き、とても香ること。
いちいちおどろく。
おしろい花は、種を割って、おしろいを出した覚えがあるのだが、夕方に咲くとは覚えていなかった。

お盆で、義父が実家へ行き、ずた袋いっぱいに野菜をもらってきた。
ぼたもちは、ついたおもちに、いっぱいあんこが乗ってる物だった。
わたしの知らないゆたかさがあふれていて、それがうれしくて、しあわせだ。
いつまでかわからないけど、確実に終わりがあるしあわせだから、いませいいっぱい味わっておこうと思う。
謝謝。

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2005/08/12

もういちど愛について

青山ブックセンターである辰巳泰子×枡野浩一トークショウ「もういちど愛について」に申し込んでしまった。
辰巳さんのブログがあまりにおもしろくて(funnyじゃなくてinteresting)生トークをぜひ拝聴したいと思い立ちまして。
るるる~。
それまでにPCが退院してるといいなぁ。

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2005/08/11

悪夢ふたたび・・・。

1ヶ月前に修理したばかりのPCが、起動しません。
冷やしても何回やっても。
サポートに電話したら、ハードの問題だと。
・・・・全部交換したんですよね?

13日に入院。でも工場がお休みなので、17日以降。
約1週間。

愕然で涙もでません。
なんでわたしが歌会事務局になってから毎月故障するんでしょうか。
教えてください。
なにかのたたりでしょうか。

欠席歌をくださった方のメール、もうとりもどせません。
メアド変更のメールをくださった方、わからなくなりました。
とりあえず、yahooメールは携帯に転送設定しました。あとは、ウェブメールとサブノートでしのぐことにします。
※13-17日は帰省します。

今日は早くねます。
あれこれは、今日はむりです。
また連絡します。

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お帰りなさい、野口さん。

宇宙ステーションから、スペースシャトル・ディスカバリーが無事帰還した。
タイルが剥がれ落ちたり、帰りの日程が遅れたり、電源が入らなかったり数々のアクシデントもあった。
帰還後の記者会見で

「明日にでも宇宙ステーションに戻りたい」

とのたまう。
この精神力、確信。
並みじゃない。
スタンディング・オベーションを捧ぐ。

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2005/08/06

住吉神社 本祭り

東京都中央区佃1丁目にある、住吉神社。
今年は本祭り。4年に1回。ネットで見たら3年に一回とある。4年に一回は深川だった。あれ?

今日はひさびさに娘をつれてこの地を訪れた。
小学校からの友だちが佃の家に(お祭りで)帰る、と聞いたので、ついでに会う約束をした。
月島駅を降りると、もうはっぴを着た人たちでいっぱいだ。

わたしの住んでいたあたりは、高層マンションへと変貌していた。
マンションに建て変わってからは、初めてきた。
確かめたくなかったというのもある。

住吉さんへ歩いていくと、ちょうど新佃の神輿に追いついた。
自分は新佃だったので、ちょっと感激。
住吉神社につくと、ちょうど八角(八角神輿)が外にだされて飾りをつけているところだった。
おそらく今晩、「御霊移し」(おみこしに神様をうつす儀式)をするのだろう。

おまいりをして、娘にカキ氷を買って、幟旗や、獅子頭をみせる。

その後友だち宅へいき、スイカやお菓子をごちそうになりながらちょっと話す。
友だちのうちは、お客さんがいれかわり立ち代りきてるようで、3人姉妹が全員家族総出できている。
子どもだけで6人!
にぎやかにぎやか。
長テーブルに雑然といろんなものが載っていて、子どもが走り回っている。
なつかしくて、なつかしくてじんわりしてしまう。
わたしは、こんなところから、今までどれだけ遠くへ行ってたんだろう。

そのあと、友だちとベビーカーと、ベビーカーを押す子と、歩いてついてくる子、6人で月島方面へ散歩する。
ひとつひとつの商店をみながら、多くはもんじゃやに変わってるけど、なつかしい店もあり、いちいち確認していく。
途中で友だちと別れ、せっかくだからと娘ともんじゃやへ寄る。

もんじゃはなんだかあれこれはいった食べ物になっていた。
子どものころから大好きだった、そばもん(そばもんじゃ)と、豚肉入のを頼んで焼いて食べた。
(焼くのは昔とった杵柄なのだ)

夕方の風に吹かれながら、なんだかリラックスした気分になった。
わたしのふるさとは、ここにある。
帰りに「(佃の)ちょうちんがほしい・・・」とつぶやいて、娘に笑われた。

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「I don't apologize.」~ヒロシマ

 昨晩 TBS戦後60年特別企画「ヒロシマ」を最後の1時間くらいみた。

 被爆体験者が戦後60年という節目で、自らの体験をようやく絵で描いたり、話したりして次の世代に伝えていこうと力をふりしぼっている。
 わたしたちは、その差し出されたバトンこそを、受け取り、次の世代へ伝えていかなくては。このバトンはなくしてはいけない。

 戦争の悲劇は、かなり断片的にイメージとして自分の中にあった。
 今回、被爆者のおばあさんやおじいさんの証言に、自分の想像もつかなかった悲劇があった。

 原爆投下後、建物はくずれ、燃え、多くの人が全身のやけどや、下敷きになってうめいていた。母(語り手)は自分の意識がもどったときに、二人の子どもの姿がなく、がれきから「助けて~」と叫び声を聞いた。
 彼女は、がれきの下敷きになった娘を、炎が迫ってくる中どうしても助けることができず、逃げたと語った。
 わが子を見殺しにしたという、一生抜けない心のとげが、どんなに彼女を苦しめたことだろう。
 戦争、原爆、ということは、こんなことまで人に負わせるのかと愕然とした。おばあさんのこれまでを思ったら、胸がいっぱいになった。そして、こういう経験を、ずっと人に言えずにいままで持ち続けていたのも、よくわかった。

 この番組のもうひとつの企画。
 原爆の開発、投下、きのこ雲の撮影をした、ハロルド・アグニュー博士が、ヒロシマを訪れ、原爆資料館を見学、 そして2人の被爆者と対面した。
 被爆者は、ヒロシマで起こった悲劇を、博士に涙ながらに語った。
 しかし、博士の反応は2人の予想を大きく裏切ったと思う。

 「I don't apologize.」(わたしは謝罪しない)
 「Remember The Pearl Harbor」(真珠湾攻撃を覚えていてください)

ひとりのわが子を見殺しにしたと、一生苦しんでる人と、十数万人を死に至らしめた原爆にかかわった当事者でありながら、謝罪しないと言う人・・・。 

博士は、ヒロシマの話を「ひどい話だ」「戦争をしないことを祈る」とも言っていた。
 すべては、戦争というものが引き起こした副産物。
 わたしは博士が謝罪しないと言った理由が、なんとなくわかるような気がした。

 日本が真珠湾攻撃をしたから、アメリカは、原爆を落とした。
 どちらも被害者であり、どちらも加害者なのだ。
 それが戦争、というものだと。

 ◇ ◇ ◇


  未 あ 片 気 謝  
  来 り 付 が 罪  
  の え く 晴 さ  
  平 な な れ せ  
  和 い ん て て  
  の   て      
  た          
  め          
  に          
  は          

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2005/08/03

さむい暑中見舞い

RIMG0016
 もうすぐ立秋になってしまうではないか。
 あわてて今年初めての暑中見舞いを書く。
 筆ペンをもって、水性ペンをもったら、おもしろくなって、ネット用に書いてみる。
 くはっ。くらい・・。怪しい一枚になってしまったが、寒くなるかもしれないので、いきおいでアップ。

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2005/08/02

それがすべてだ。

短歌ヴァーサスのサイトの、斉藤斎藤さんが8月1日に書いたコラムがすてきだった。

歌が生まれるとき、ごくまれに「ああ、私はほんものだ。私にはその価値がある」と、とうめいにみなぎる瞬間がたしかにある。それがすべてだ。

「私にはその価値がある」というのは、斉藤斎藤さんの短歌にも使われている、名ゼリフ。(Loreal Parisのキャッチ・コピー)
とうめいにみなぎる瞬間をつかまえるのだ。
そうするのだ。

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