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2005/06/26

当事者でないものが歌うむずかしさ

昨日と今日、わたしにしてはめずらしく? 2日連続の歌会だった。
その中でちょっと考えたこと。

歌会に出された中で一首、時事詠があった。
TVで報道された事故をモチーフにしたものである。
被害者の家族の方たちの「口惜しさ」を詠われていた。
状況もわかり、口惜しいと想像されたこともわかるのだが、点を入れるのをためらった。

以下は自分への問いかけ。
そこに出された歌が呼び水となったのだが、一般論のこと。
特定の歌を批判するものではありません。

TVで見ている第三者(私)が、ほんとうに被害者の気持ちがわかりうるだろうか?
痛ましい事故、事件がおきると憤り、悲しみ、悔しい自分の気持ちに嘘はないのだけれども、それを「悲しい」、「悔しい」、そういう共感で詠ってしまってよいものなのだろうか?

似たような経験を持ってる人だったら、それを自分に当てはめたリアル感を(少なくとも自分の実感した思いを)こめられるのだろうけれども。

当事者の思いを代弁するのは、とてもむずかしいことなのではないか。
そのことで、気持ちを逆なでする可能性もあると思う。
当事者の思いを語るなら、いろんな角度で思いをめぐらせて、自分に引き当てて、そこから自分が語れることを語らないと、自分の歌にならないような気がする。

時事詠も自分への問掛けなくしては、ただの言いぱなしのようになりやしないか。
自分を棚に上げて批判してないか。

そういうことをあれこれ考えていると、わたしは詠みたいのだけど時事詠がなかなか詠めない。
悲しみや喜びは、自分の中のものを詠うしかできない。

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コメント

◇いなだっちさま
 私にはわかりやすい表現でした。お気遣いいただいてありがとうございます。

◇ゆうさま
 すみません、私のマシン事情で十分話を展開できずに終わってしまって。
 某所のQ&A楽しみにしております。(*^^*)

投稿: しづく@昼休みinOffice | 2005/07/04 13:12

言葉が足りないのか、誤解を生じていると困るので一言だけ・・・。

しづくさんが書かれた文

>・・・状況もわかり、口惜しいと想像されたこともわかるのだが、点を入れるのをためらった。

に対してのコメント

>作品にもよると思いますが(形容詞的)感情を入れただけのもので終わるのなら、私も躊躇してしまうと思います。

ですから、これは選をする時の話で、作ることに対しての躊躇ではないです。
作る時に躊躇したことはありません。

それだけです m(__)m ぺこり

投稿: ゆう | 2005/07/01 01:50

あ、すいません……。
「常套手段」は言いすぎでした……。
あえてこの言葉を使うとしたら、
「稲田にとっての常套手段」ぐらいに、
思っていただけると助かります。

なんだか、人の歌の可能性を、
狭めるような言葉だったと思います。反省。

投稿: いなだっち | 2005/06/30 11:47

◇OKさま、ま のすけさま
 こちらまで拝読いたしました。
 午前中に、PCを梱包せねばなりません。
 十分にお返事できませんですみません。

 >「届くとは?」

 もはや当事者とか、時事詠を飛び越えて、そこへたどり着きましたね。ゆっくり考えたいと思います。またお付き合いください。 

 ま のすけさんは、美術でも本でも反戦に関してもすごく知識がおありになるし、自分の意見もたくさん持っていられる方だと思います。きっとがつんとくる時事詠、詠めるのではないでしょうか。(かってに振る人。(^^;;;)
 どうもありがとうございました。

投稿: しづく | 2005/06/29 11:43

↓スミマセン、大切なことが抜け落ちておりました。

 あくまで、歌を詠まれるのは、その詠者ご本人ですから、
 時事であっても、当事者の代弁ではなく、本人の中に湧き起る
 感覚を詠み歌うということが大切なのだろうと思っております。

投稿: ま のすけ | 2005/06/29 02:12

『当事者の範囲』

「当事者でない者が、その時事を扱う」と云うことについてですが、
ま のすけは、OKさんとほぼ同意見です。

戦争を経験していなくても、様々な見聞により、その悲惨さや
残虐性により、あるいはTVなどのフィルムからの情報で得られた
知識などから、揺り動かされる何がしかの感情は発生する訳で、
それを五行歌という形で、歌うのならばそれも十分に認められて
好いように思います。

しづくさんがお書きになられた件の歌が、どの様な歌かは存知得ない
のですが、要は、詠者本人の言葉で、詠者本人の感覚が歌われて
いるかが重要なのだろうと感じます。

転んだ友達が痛がっていることを、自分の感覚で、
かつ、自分の言葉で書くのならOKではないでしょうかね。
それとも、転んだ他人の痛みは、本当には理解できない
ハズだから、書くべきではないのでしょうかね。
また、木から葉っぱが落ちることは、木にしか分からない
感覚だし、
ミミズが感じていることは、ミミズにしか本当のことは
分からない筈だから、それを歌にするのは・・、なぁ~んて
誰もそこまでは言われてませんでしたねぇ。
失礼しました、アホアホ3歳児、ま のすけのボーソーです。(苦笑)

時事ということは、すなわち、各人が生きている世界で起こったこと
でしょうから、広い意味では、当事者としての意識を持つ
ことに、何も問題はないのではないだろうかと・・・・、

 って、PC入院中にゴメンナサイ。お許しを。(微笑) 

投稿: ま のすけ | 2005/06/29 02:06

入院直前に、ごめんなさい!

湾岸戦争時の、CNNが流した例の映像のケース・スタディが出てきたり
件のウタが五行歌を始めたばかりの方のものであることが明かされたり
話はこれからが佳境というところで入院されること、とても残念です。

めでたくご退院後、快気祝いなどよろこんでしながら、またお話ししましょうよ。
要は「届くとは?」ということでしょうから。
僕が言いたいのは、当事者であろうがなかろうが悲しい事は悲しいし
じゃあ、当事者としてのたとえば恋の話は届きやすいとでも思っているの?
ってことで、そんなに、分かったふうに言って大丈夫なの?と思いました。

もちろん僕も分かっていません。ただ、当事者であることが「届く」という
ことでもないし、しづくさんの話に都合よく頷くだけなら
テレビ報道をリピートしている人と同じことだし。
もう少し考えてからの結論にしませんか?ということなんです。

しづくさんは、とってもいいことによく気がつき
それを分かりやすく俎上にのせてくれるのですが、リスナーというか世間は
常に自分に都合よく理解するものだ、という意地悪さに欠けた洞察かもしれない。

きっかけになったその方に限らず、五行歌は時事問題に弱いという現実を
よく直視すると、作法の問題ではないのかもしれないなと
僕は思っています。いつかまた、ゆっくり・・・。

投稿: OK | 2005/06/28 23:55

◇いなだっちさま
 (わぁ~い、いなだっちさんだ~♪ こっちこそきゃ~♪)
 とても時間をかけて読み込んでくださって、なんだかありがたくて、ちょっとじーんとしました。
 これを書いてるとき、稲田さんの書かれてる日記を思い出したりしていたからなんです。

>その映像の説明にしかなっていない短歌

いかにも陥りやすいポイントですね。うー耳が痛い。仕上げのチェックポイントとして入れておこう。

>その時事を詠ったの??と一見わからないような、
抽象的かつ、普遍的な歌の形にするのが、こういう場合の常套手段

わたしも自分が時事を詠めないのなら、そういうふうになるだろうな、と考えていました。常套手段なんですね。それにしても、当事者に触らないでエッセンスを抜き出すというのは、高等テクニック・・・。

「次の歌」の話。
ああ、どうでしょう。何か感じていただけたのでしょうか。
どこまで作者が歌に対して貪欲か、まだ見えていません。
でも熱心に取り組まれております。スタートしたばかりの方です。

歌会って、一回だけで完結するものじゃなくて、こうやって次に生かせるものがあるんだなぁ。
歌会のウタを再推敲することはあっても、つまりは個別のウタに注目することはあっても、もっとこんなふうに、ウタの作りそのものにフィードバックすることを考えていたのか、わたし。
目が覚めた気がします。

それには感想だけでなく、分析的な目も必要なのだなぁ。
そこまでするには、やっぱり少人数でないと無理な気も。
参加者が増えるのもうれしいけど、少人数でじっくりともやりたいこのジレンマ。
うぅ。

PS:
 いなだっちさんの記事の、「次の歌」からの10数行のコメントを、さっきから何度も読み返しています。
”その時事詠を読まれた方”、を ”わたし”に読み替えながら、じわじわ泣けてきました。(感涙)
 いちばん近いことばを選ぶとしたら、「愛だなぁ」って思いました。

投稿: しづく | 2005/06/28 21:47

難しい問題ですよね。

大筋では、OKさんに共感するところは、
多々あるんですけど、
書き手の姿勢として考えた場合、
他の方々の仰ることに、大きく傾く気持ちもあって。

こういう、マスコミ的な、
間接的な、
ある種の媒体によってしか得ることのできない
情報により、
感情を喚起し、理性を放ち、歌うものって、
ものすごく表現力の力量を問われると思う。

その事件の当事者でなければ、なおさら。

     ★

確か、湾岸戦争から10年ってことでの
文章だったと思うから、
すでにもう、数年前だと思うんだけど、
日経で、
湾岸戦争を詠った短歌について、
ある人がなんか書いていたのね。

うろ覚えだから、
私が湾曲している部分もあるかもしれないけれど、
例えば、その頃よく詠われたのが、
TVでよく、「油にまみれた鳥」が報じられましたよね。
その鳥について、感じたことを詠う短歌が、
よく見られたそうです。

「油にまみれた鳥」という、映像の情報。
その映像の「情報の情報」として、短歌が読み手に読まれる。
でね、大概の歌を時間を経て読むと、
その映像の説明にしかなっていない短歌が、
ものすごく多かったんですって。

映像が、もう、語っちゃっているんですよね……。

これだけ(映像の)情報が発達していくと、
時事詠の短歌って、限界なんじゃないか、とか、
いや、もし、読み継がれるのだとしたら、
どういうところを注意したらいいのか、とか、
その人なりのことを書いていたんだけれど……って、
肝心なところを、忘れてます?(笑)

しかも、本筋とずれてます……?(笑)

     ★

その歌を見ていないから、見当違いなら、
ごめんなさいだけれど、

映像どころか、その情報の視点に連動し、
提供者側の見解に乗っかって、
その見解の焼き直しのようなものに、
その歌はなってたのかな。

「恋」という抽象的なものの中に、
独自性のある表現をするのより、

「時事(被害者の感情)」という
具体性のあるもの中に、
さらに独自性のある表現をするのって、
上滑りがちになると思う。
すればするほど、焼き直しっぽくなりがち。

だから、
その時事を詠ったの??と
一見わからないような、
抽象的かつ、普遍的な歌の形にするのが、
こういう場合の常套手段だと、
テクニック的な可能性として、
思うところもあるから、
想いが、
人に伝わってほしいということに、
比較的重点を置けば、
「見せ方」という点においては、
時事詠も、
「表現」として成立する可能性はあると思うんだけど
(ウケ狙いとかは、論外ね)。

そういうやり方で歌を書くのが、
自分にカッコつけているようで、ダメだというのなら、
しづくさんがされたように、
詠っても、よくよく判断して、
お披露目するかどうか、
あらゆる角度をもって、考えなくっちゃいけない。
それこそ、肌で感じたものじゃないんだから、
よくよく消化して、分解しないと。

     ★

大切なのは、「次の歌」。

その時事詠を読まれた方が、
どのくらい、歌を詠うことに、
面白みを感じ、執着心を持ち、
読み手側からのコメントに、
どのくらい耳を傾けることが出来はったのか。

それらを滋養に、
歌というものを人に読ませようと決めた時、
どのくらいの吟味力を
今回の歌会で養われたのか。

それは、表面でなく、
根にまで、染みこんでいったのか。

そっちのほうが、
自分がどう思うかということより、
ちょっと気になったりしています。

……と、時間をかけて書いているうちに、
しづくさんが、
とても、まとまりのあるコメントを、
送信されてて、
今、とってもキャ~な気持ち。

ま、いっか。送っちゃえ~♪

投稿: いなだっち | 2005/06/28 11:49

◇薔子さま、OKさま
 コメントありがとうございました。
 五行歌は、制約がほとんどなくて何でも自由に書いてよいと言われています。でも自由にっていっても、詠むからにはどなたかを(自分も含めて)感動させるものを詠みたいわけで。(笑)
 だからそのために、この大きなまっしろなキャンバスに、自分なりのラインを(笑っちゃうようなあたりまえも含めて)引いていきたいと思ってるんです。ボーリングのノーガーターの枠みたいに。

 この記事は、そのラインのひとつであり、本来は歌会のコメントで伝える内容だったと思います。次の機会に同じようなことを問われたら、ちゃんと答えられるように。

 それにしてもOKさまの鋭く本質を突くこと!

>(作者が)よいと思って詠んだウタがウスッペラで予定調和的で、あまり心を動かされない

 わたしが書かなかったことをズバリ書き表してくださいました。そして、このことは、わたしももちろんきっと多くの方が陥りがちな点で、むずかしい、と濁してしまいました。
 書くのは覚悟がいる、これが伝えたかったことだし、コメントをくれた皆さんもそういう思いをわかってくれたんだと思います。 

 ◇ ◇ ◇ 

 次のテーマは、「当事者として詠うむずかしさ」でしょうか。
 これは「作品になってる」「なってない」に通じる話で、ずっと頭の隅にあることです。まだ外にだせるまでまとめられないけれど。
 みなさんがまっすぐ受け止めてくださってコメントいただけたことがすごくうれしいです。(個別なコメントにならなくてすみません)

PS:うぅ、自宅PCは明日から入院です・・・。(^^;;

投稿: しづく | 2005/06/28 09:56

不思議なコメントだなぁ、と思いました。

所詮は、そのウタの完成度と、作者の人間力だと思いますけれど・・。
「時事詠」というのか「社会歌」というのか知りませんが
ある社会的出来事に対して、それが事故であろうが事件であろうが
戦争であっても地震であっても、それを実体験ではなくテレビで知った
にせよ、何か感じるのは人として当然の反応でしょう。
当事者ではなくても、悲しみだって怒りだって覚えます。

その思いをウタにするのに何の躊躇がいるのでしょうか。
ズバリと言ってしまえば、上手か下手かに尽きるだけの話じゃない。
時事もしくは社会的な出来事のウタも自分の目線や感情で
というのは言うまでもないことで、何言ってんの?とさえ思います。

恋や子育てや介護は、自分のリアルな思いでウタにできるが
時事的なことは当事者の“ほんとうの”悲しみは想像だにできないのだから
ウカツにウタにするな。と、ここのみなさんはおっしゃっているようで
どうも納得ができません。

その種のウタの作者が、よいと思って詠んだウタがウスッペラで
予定調和的で、あまり心を動かされないというのなら、よく分かります。
で、それは時事詠が問題なのではなく作者が問題なのです。
僕やあなたが自分のライブな日常を“当事者”としてウタったところで
他人の共感を呼ぶことは、実は滅多にありません。

僕に言わせれば「恋の五行歌」ほど他人として退屈でシラケルものは
ないです。ごくわずかな人々が唸ってしまう名歌を生む。
時事詠とかいうヤツだって、同じなのではないでしょうか?
しづくさんの慎重な物言いに対して、僕たちも熟慮して発言しましょうよ。

投稿: OK | 2005/06/28 06:37

おじゃまします。

私も同感です。

人の気持ちに想像をめぐらせることはとても大切だとは思うけれど
でも、本人でないかぎり決してわからないこともある、という一線は肝に銘じておくべきだろうな、と常々思っています。
だから、事にもよりますが、簡単に共感や代弁の歌は詠めないな……と思ってしまいます。
あくまで、そのことに対してどう自分が感じたか、あるいは、誰かになったつもりならば、あくまで「つもり」であって自分の想像である、という認識ごとしっかり引き受けた歌でなくてはならないな、と思います。

投稿: 薔子 | 2005/06/27 22:31

◇美雨さん
 このことを考えるようになったのは、しばらく前のときからでした。自分も同じように悲しくても、当事者の悲しみの深さにはかなわないと思ったことがあったのでした。
 そのときは、ものすごく心が揺さぶられて歌を作ったのですが、それを人に見せることはしませんでした。その人の悲しみを私が詠うべきではないと強く感じたのでした。
 
◇ゆうさん
 >悔しがっている人を見て、どう思ったかは詠めても、その人の感情そのままの「悔しい」は詠めないと思います。

 ああ、そうなんです!
 先日の歌を思い起こしてあれこれ考え続けています。たしかに、そこにはあるメディアを見て思ったことが書かれていたのだけれど、ほんとにそれが被害者の気持ちなのだろうか、と立ち止まりました。 
 「感想」ということばには、「想」いという文字が入っているのだけれど、ウタには「感想」を超えた何かがほしいという気がします。もう一歩踏み込んだものが。

◇海のさん
 わたしも歌会の採点時間では、どこがどうしっくりこないのか、きちんとことばにできませんでした。
 とても強い感情を書かれているのに、それが自分の感情ではなかったことがひっかかっていたのだと、いまごろになってわかってきました。<そうとう鈍!(^^;;;

投稿: しづく | 2005/06/27 21:37

その事柄に対する自身の言葉だったら、きっとすんなり私にも共感できたのかな・・・と思いました。普段からにぶい私なんですけどね^_^;

投稿: 海の | 2005/06/27 10:26

作品にもよると思いますが(形容詞的)感情を入れただけのもので終わるのなら、
私も躊躇してしまうと思います。
よくありますよね。いいことも悪いことも含めての「話題の五行歌」!?
作者にしてみれば何の抵抗もなくの感情だったのかも知れないけれど、
ちょっと不思議に思うことはよくありますよ。
結局はどう伝わるかなのでしょうけれどね。

>悲しみや喜びは、自分の中のものを詠うしかできない。
本当にそうですね。
悔しがっている人を見て、どう思ったかは詠めても、その人の感情そのままの
「悔しい」は詠めないと思います。


投稿: ゆう | 2005/06/27 09:42

私もしづくさんの考えに頷けます。
悲惨な事件、事故は当事者でないと本当の意味での悲しみ苦しみは分からないと思います。
それを言葉で言い表すことなど、簡単にはできないのだとも…
ある意味無責任とさえ、感じることがあります。

投稿: 美雨 | 2005/06/27 00:57

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