夏至。
みなさん、キャンドル・ナイトしていますか?
夕方から何度も窓の外を眺めては、「けっこう灯りついてるなー」とちょっとしょんぼり。
諸事情で、早めにはじめて、早めに終わった? 我が家のキャンドルタイム。
今日の話題は、子どものころなかったもののの話。
小さいころなかったもの。
缶のお茶。
ましてやお水を買うなんて思いもしなかった。
ウーロン茶。
存在自体知らなかったよ。
牛肉。
漫画のビフテキはみたことあっても、日常の食卓では食べたことなかった。
(単にびんぼー?)
なんか食べ物系ばかりだけど・・・。
夫はコーラを初めて飲んだとき、感動した、といい、
私は、「シェイク」なるものを初めて飲んだとき、なかなか吸い上がらないもどかしさと、冷たさと甘さをいまだによく覚えていることを話す。
今の子どもって、感動するほどの食べ物ってあるんだろうか?
満たされているのは、幸せであり、ちょっとかわいそうだ。
オトナになるまで、食べさせないものもとっといてあげないと。
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コメント
◇美雨さま
おつかれさまです~♪
そうなのです。いろんなもののありがたみが薄い気がして。
時間をかけたり、苦労して手に入れることもしないと人間としてよくないと思います。お楽しみは未来にもちょっと残しておかないと。
◇海のさま
うちの親もそういう感じ。食べ物に苦労した世代なので、食べ物で苦労したくない?タイプですね。
アマアマ叔母様になってしまうのですね。親がその分締めてれば(!)いいのでは。
◇あつこさん
おひさしぶりです。
わたしの世代は振り返ると、日本の成長とともに歩んできて、ものすごく物が増えた時代でもあった気がします。
食べ物ひとつとっても、そうですよね。
自分の子どもとは一世代しか離れてないのに、「ない」という経験がもうできないでいる。「ない」→「ある」といううれしさを知らないできてしまう。
食べ物に関しても、いかに選んで食べ過ぎないかの方が大事でしょう? 好きなものばかり食べてたら、肥満になって病気になっちゃう。あまりに簡単に食べ物が手に入る。
子どもには、「ない」→「ある」喜びも教えてあげたい。
あたりまえのことにも、あたりまえじゃない世界があることもときには思い出してほしい。
>『生き物として、忘れてはいけないこと』
あれ? そういうタイトルの本ありましたっけ? (^^;;;
草壁先生の本も読んでくださったのですね。
自分の紹介した本を買っていただけたり、読んでいただけるのってうれしいです。
これもひとつの私の静かな活動なのですから。(^-^)
あつこさんのサイトの活動も見てますよ。
手をぎゅっとしたい気持ちで。
投稿: しづく | 2005/06/22 21:55
しづくさん お久しぶりです。
小さなころ、TVも冷蔵庫もありませんでした。
コーラもシェークも本物のコーヒーも牛肉のすき焼きも
オレンジ味のソフトクリームも、大学に入って初めて体験。
最近、物質的に豊かになってなくしたもののことを考えます。
しづくさんの本棚で買った『生き物として、忘れてはいけないこと』
とても良かったです。
草壁先生の本は、ゆっくり楽しんでいます。
ありがとうございました。
投稿: あつこ | 2005/06/22 15:19
昨夜、我が家でも電気を落としました。彼が帰ってからは、いつもつけ放しのテレビだけは消して、おしゃべりしながら夕飯食べました。PCもつけなかったから、けっこう自分としてはがんばったつもりです(^^ゞ
食にかんしても、その他にかんしても、自分がそのころ満たされていなかったから、子供に孫に(私の場合は姪や甥)買ってしまう傾向があるらしいです。私だけでしょうか?
豊かであること = お腹が満たされていること
ではないのですけどね・・・つい 可愛いと『姪に似合うかも』と求めてしまう、アマアマ叔母さんなのでした(@_@)
投稿: 海の | 2005/06/22 07:46
本当、そうですね?
今の子供達は何でも揃っていて、大した努力もしないままに色んな物を手に入れてしまう。
食にしてもしかりです。
私達が大人になって、やっと口にしたような贅沢な物も、当たり前のように食べていたりします。
でも、この事が本当の豊かさではありませんよね?
食に関してだけでものを言わせて貰えば、未知なる物がないというのは、何か寂しいです。
投稿: 美雨 | 2005/06/22 02:16