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2005/02/27

うめまつり

kouhaku今日は小石川後楽園のうめまつり最終日。
寒いが天気はいいので、気分転換にデジカメをお供にふらりと出かける。
うめまつりならではのイベントがいくつか。
水戸徳川家上屋敷の庭園だったことから、水戸黄門ご一行様が園内を練り歩いたり、二胡とギターの演奏会など。
二胡の音色を聞いていると、中国大陸の広い台地と空が目に浮かぶようだ。
鳥が飛ぶイメージや、馬が駆け抜けていくイメージの曲を聞く。



mousenいつもはないのだが、緋毛氈を敷いた縁台がいくつか置かれ、おでんや甘酒の売店が出ていた。
水戸の偕楽園の梅は、ここの梅を持っていたという。水戸の梅や、のし梅など水戸の名菓まで売っている。
晴れているとはいえ、屋外はやはり寒い。思わず甘酒を買う。
緋毛氈の朱が、公園の押さえた色の中で目に鮮やかだ。春を感じる。



koubai梅は梅林として集中して植えられていた。
多くの人がカメラを手に記念写真を撮っている。
これは、紅梅。一本だけ鮮やかなピンクのもの。



pinkこちらは淡いピンク。
花びらも八重で、とても可愛らしい。ロマンチック。
梅の枝は、みんな上に向かって伸びている。
広重の浮世絵を思い出す。



mankaiうめまつり最終日だから、散ってるのもあるかなと思っていたが満開のものがほとんど。うつくしい。
今日は空も抜けるように青く、見上げると梅の白さがとても映える。
写真ではうまく撮れなかったが、めじろが蜜を吸いにきている。
めじろって、梅や桜の開花時期になると、どこからともなく現れる。不思議だ。



mizudori_l池には水鳥が来ている。
わたしの大好きなちいちゃなかいつぶりもいる。鴨の羽の色はいつみても美しいと思う。
なんで自然はカラーセンス抜群なんだろう、とため息がでる。

夕方になると多くの人が帰り道に向かい出す。
日が傾いて、風が吹いてくる。
わたしも人々とともに帰路についた。

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2005/02/26

ハートつながり。

NHKハート展、3月1日(火)~6日(日)に日本橋三越本店にて。入場無料。
障害のある方から寄せられた4,600余りの詩から、選考された50の作品に、アーティストや著名人が詩とハートをテーマに製作した作品の展示会である。
このアーティスト、けっこうすごいです。
わたしがおお、とチェックした人。

新垣仁絵(もとSpeedメンバー、たしか絵の勉強で留学した。イラストが上手で有名)
石井めぐみ(もとアイドルから障害を持って生まれたゆっぴぃとの手記を出版)
蛭子能収
黒田征太郎
立木義浩
はまのゆか(13歳のハローワークイラストレーター)
松本零士
326
森 英恵
横森美奈子
ROLLY

ほかにもいろいろ佐藤江梨子やテツandトモまで入ってます。
なんかちょっと魅力的ですよね。
もちろん詩もたのしみ。
東京展以降は、全国巡回するそうです。

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しろくまのピース

昨日のテレビ東京「ポチたまスペシャル」で、日本で初めて人工保育に成功したというシロクマの話を放送していた。
母クマが育児放棄したため、人工保育で育てたのだが、もう愛くるしいのなんのって!
仰向けでひざにねそべってミルクを飲んだり、はいはいしたり。
コアラやパンダも負けそうなくらいのかわいさ。
ここに写真が!

ピースと名づけられたコグマは、高市さんという飼育係りを母親と思い込んで、いつも一緒だ。夜は、高市さんの自宅へ一緒に帰って、ミルクをもらったり、タオルケットをかけて寝たりする。
しかしピースがオトナになるにつれ、猛獣であることから、スキンシップは危険だという園の判断がつきつけられる。
いまピースは、5歳。
ぬいぐるみのようだった面影はない。

でもでも。高市さんを見ると擦り寄るのだ。おりの格子に手をかけて、見つめるのだ。
シロクマだ。
シロクマなのだけど、ものすごい愛情だ。
見ていて泣けてきた。

疑いとか、ためらいとか、照れとかみじんもない。
高市さんだけを見ている。
お母さんだと思って見ている。
自分が大きいとか、猛獣とか、関係ない。
そばにいて、声を聴いている。

にんげんよ、シロクマに負けてないか。

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2005/02/23

歌について語ろう

語ろうって言っても、わたしが勝手に語ってるのですが。(^^;;;
わたしのメインサイトで、「歌について語ろう」のコーナーがあって、それに新しい記事を追記しました。
歌を読む~~共感を超えた先にあるもの、です。
えっと、ブログしか見てない方も多いかなーと思いまして、なんとなくここに宣伝。
ぜひコメントしたい! と激しく思われた方は、ここへどうぞ。

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「歌について語ろう」 追加。

歌を読む、ことについて考えていたことを文章にまとめてみました。原稿を最初に作ったのは、2002年でした。3年も経ってしまった・・・。
もうひとつのテーマとして、「歌の種類(主題:テーマ)によって、読み方が変わる」ということをまとめたいと思っています。
でもこれは、まだ形にならずぼわぼわと頭の隅に丸まっているのです。また形になってきたら、追記します。

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2005/02/20

「五行歌」 3首追加。

前回と同じ色で、ジョン・レノンなんで、なーんだ変わってないやん! と言われそう・・・。
いちおう、スクロールしてよくみてくださいね♪

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AQ歌会

今日は雨ですごく寒かったのですが、歌会でした。
はるばる大阪よりいなだっちさんがいらしてくれたり、ニューフェイスのま のすけさんや、久々の由奈さん、仁尾さんと総勢10名のごーか!なウタカイでした。

(いまもうねむいのですけど一言だけ)

ふわふわただよう
思いのわたを
はしっとつかまえて、
スパスパことばのラベルを与えられる
あざやかさをみた
かんどー。
(↑いなだっちさんへのリスペクトっす)

たのしかったー。ねむー。

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2005/02/16

CAPA IN COLOR と出会う

行ってきました。
平日の雨の日にもかかわらず多くの人が見に来ていました。
年配の男性の方が多かったように思います。
以下レポート。

60年間眠っていたとは思えない、鮮やかな青・青・青。
1941年大西洋護送船団に同行した写真は、空の青、海の青のもとで、働く船員や兵士を映し出している。
空や海だけ見ていると、美しさそのもので、24時間見張りをしている乗組員たちのときおり見せるつぶやくような表情を捉えている。
また戦地の中の、民間人や子どもたち。ふつうに生活している人々をもそのフレームに取り込んでいる。
大草原で草をはむ牛たちのうしろに、戦闘機がある。
ことばじゃないのに、語りかけてくる多くのこと。

戦争のために働く人。戦闘機の整備をするひと、合図を送るひと、出動前のパイロットの姿。
人々の顔に、生き方がそのままあらわれている。
「なんのために、だれのために闘ったの?」
写真の中の人たちに、問いかけたい気持ちになった。

戦争写真以外にも、作家ヘミングウェイ親子を撮ったり、1954年毎日新聞が『カメラ朝日』創刊の記念で、キャパを日本に6週間招待したときの写真もあった。1954年というと、わたしの親がまだ10代の頃だ。
おかっぱ頭。割ぽう着。ねんねこおんぶ。お祭り。
カラーで映し出される日本があった。

その翌年、キャパはインドシナ(現ベトナム)での取材中、地雷にて死亡してしまうことになる。
地雷・・・。彼の命を奪ったのは地雷だったのかとショックを受ける。

写真のほか、中でVTRの上映があり、外にでると売店で、「CAPA in Love&War」というキャパの自伝的ドキュメンタリーのDVDを販売上映していた。つい足を止めて見る。多くの友人達の証言や写真、フィルムも入っている。
戦争写真家として有名になり、一時は離れていたこと。マグナムという世界的な写真家集団を結成し、ネガを自分達で管理することで、ひとつの雑誌にしばられず仕事ができるようになったことを知った。

売店で絵はがきと、文庫版の『キャパ その死』R・ウィーラン著、沢木耕太郎訳、文春文庫を買う。
これは3分冊の最後の一冊だが、ぱらぱらと見て、いちばん知りたい彼を知ることができそうだったので。
あとでじっくり読もう。


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2005/02/15

ロバート・キャパ写真展

今日ニュースで見たのだが、東京日本橋で「ロバート・キャパ写真展~CAPA IN COLOR」があるという。
ロバート・キャパといえば、戦争写真家として有名だが、ほとんどがモノクロ写真。このカラー写真は、60年間眠っていたという。世界に先駆けて日本で初公開! ・・・でもたったの6日間だ。ううむ。
2月15日(火)~20日(日) 東京日本橋三越本店 新館7Fギャラリー。
上記サイトのページ、下部に招待券プレゼントもあるみたいです。

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2005/02/13

ベルギー産クーベルチュール

女子のみなさん!
チョコレートのプレゼント、作ってますか?

わたしは「グランプラスクーベルチュール ミルク」のチョコレート500gを全部使い切りましたよ。
チョコレートといえばベルギー。
なぜかベルギー。
それはベルギー人の名探偵ポアロがいつも熱いチョコレートを飲むシーンがアタマに焼きついてるから。

生クリームを沸騰させて、溶かしたチョコレートと混ぜ合わせる。
バットに流しいれ、冷蔵庫で冷やす。
切り分けて、ココアパウダーをまぶせば、生チョコの完成。

娘の友チョコ用に、動物の形のビスケットにもチョコでコーティング。
ついでに甘栗にコーティング。
ついでにバナナにもコーティング。

ほんとにチョコレートがおいしいのは、カカオの原産国なのではないだろうか、という疑問を持ちつつ、「ショコラ」という映画を思い出しながら、チョコレートまみれの手をなめた。

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2005/02/10

W杯アジア最終予選

9日埼玉スタジアム。

いい試合だった。
開始からすぐ小笠原のフリーキックがきれいに決まって幸先のいいスタートだったが、それから追加点が入れられず。北朝鮮に1点返され、同点。
後半、中村や高原の投入があり、玉の動きがいきいきした。
とくに中村俊輔のパスワークのうつくしさ! 
でも彼はこういっていた。「きれいなサッカーだけじゃだめ」

昨年Jリーグの日本人得点王、大黒将志がはいって、こぼれ玉を最後まであきらめずにシュートしてVゴールが決まった。
彼のことば。
「使ってもらって感謝しています」

北朝鮮の選手は、負けて涙を流していた。
監督のコメントも冷静だった。
日本代表の相手は、「北朝鮮」という国よりも、ひとつのアジアの国の選手と戦っただけだ。
スポーツ精神にのっとり全力を尽くした、それだけでいい。

放送が終わってからスタンドをカメラが映し出したとき、ひとつの大壇幕が目に入った。
「サッカーで一つにつながろう」
(だったかな?)
背伸びして腕を伸ばしてそのメッセージを掲げた若者たちを見たとき、初めて涙がこぼれた。


  ◇ 追記 ◇

osa3さんのサイトを見に行ったら、すてきな記事があったので、リンクしておきます。
「紹介したい言葉」
北朝鮮代表の、安英学(アン・ヨンハッ)選手の言葉の引用をぜひ読んで見てほしい。
在日の彼がどういう思いで試合に臨んだのか、じーんとする。

あと、osa3さんの言葉で、

日本代表チームは、”あいつら”ではなくって、”我々”です。
あのチームは、日本のサッカー文化の代表なんです。
日本という国の、たかが球蹴りに熱狂できる幸せ者達を代表する、親善大使なんです。

ほんとにそうだなぁと思いました。
サッカー選手は、サッカーを純粋にやることが、喜びとか幸せとか平和にもつながっちゃうのだ。
みんなそれぞれそういうものを持ってるといいな。
純粋にやるってことはそういう普遍性があるってことだ。
トラックバックも送らせていただきます。

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2005/02/08

たのしさとかみんなでとか。

突然ですが。
もしあなたが歌詠みだったとして、なぜ五行歌を詠んでるのですか?

よくみかけるのが、「楽しいから」。
「みんなで和気藹々」

わかるけど、これはわたしにとってファースト・プライオリティー(第一優先)ではない。
ウタを詠むってもっと孤独なことだと思っている。

もちろん楽しいですよ。
でも楽しさはみんなと一緒にやるからだけじゃない。

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2005/02/05

一太郎よ!

みなさん、このニュースを見ましたか!

特許侵害認め、「一太郎」「花子」の製造禁止・破棄命令

わたしは一太郎ユーザー登録をしているので、さっそく2/2にJustsystemさんからメールをいただきましたよ。
【重要なお知らせ】一太郎・花子に関する報道につきまして

ジャストシステム側では、控訴手続き中なので、2/10販売予定の「一太郎2005」等は予定通り販売するという。
ジャストシステムに、「一太郎、花子の各製品の製造中止と販売禁止。」というのは、「死ね!」と同じだ。

当時、ワープロ専用機が全盛期だったころ、パソコン上で動作する日本語ワープロソフトとして、一太郎はデビューした。それを開発したのは、徳島県の小さな会社だった。
その機能、性能に多くのユーザーがつき、日本語ワープロソフトのデファクト・スタンダート(事実上の標準)となったのだ。
それゆえ、教育機関や役所でも「一太郎」はかなり採用されていたと思う。
最初に習った、ワープロソフトが「一太郎」という人は、多いのではないか。もちろんそういうわたしもそうだ。

一ソフト開発者(引退したけど)としてジャストシステムの小さな会社が技術力でここまで成長したのを見てきて、この記事はショックだった。(しかし松下系列にも友だちがいるので、苦しい・・・)
今後の行方が気になる。

   ◇  ◇  ◇

むむむ。
あれこれ調べてると、あちこちで松下製品不買運動も起きてるらしい。
やっぱりATOK(ジャストシステムが開発した日本語変換機能プログラム)はすごいのだ。
基本機能と全く関係なく、あってもなくても問題ない機能の、特許申請を先にしたかどうかでここまで権利を主張するのは、いかがなものか。販売中止、破棄はあんまりだ。
技術者として(引退したけど)ちょっと怒りを感じる。はっきりいって、許せん!

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2005/02/03

ハッピーは味わっておけ。

昨日の続きで恐縮ですが。

第一志望合格のとき、「わぁ~受かった~!」と叫んだのはわたしでした。
娘は先に確認して、わたしが駆け寄ると「はいはい、じゃいこう」みたいにクール。
照れがあるとも思うのだが、一日めのようにわたしが泣くのを恐れたようだった。

手続き会場への道。
わたし「受かった人ってすぐわかるね~。
     なんかニコニコしてるもん」
T   「そうだねー。この人(わたし)みたいにねー。わかりやすいねー」

わたし「でもさー。人生にやったーって大喜びすることなんてそうそうないんだから、喜べるときは喜んでおかなくちゃもったいないよ」
T   「そうだねー。」

思えば、先月AQ欠席歌も、真逆の意味で、同じことを詠ったように思う。

uta_happy

アン・ハッピーを知ってるオトナだから、純粋に喜べるのだよ。
娘よ。きみは、まだ青いぜよ。

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2005/02/02

サクラサク~緊迫した空気AfterStory.

一足早く、サクラ咲きました。
娘の中学受験、昨日第二志望、本日第一志望、両方合格です☆
今、どちらにするかぜいたくな悩み中。
どちらもそれぞれによさがあり、でも明日には結論を出さないといけません。
結局は本人が選ぶのですけど。

彼女が本気で勉強しだしたのは、最後の1ヶ月じゃないかしら。
12月の模試が悪かったので、そこでエンジンがやっとかかったみたいな・・・(^^;;;
あんまり早くからがんばりすぎなかったのも、かえってよかったのかも。

発表の帰り、二人でおいしい中華料理をたらふく食べてきました。
ぷふぅ。

明日は手続きなので、また私だけ学校へ。
職場の皆さんにもご迷惑をおかけしました。
応援してくださった皆様も、ありがとうございました。

わたしもけっこう疲れました。徐々に平常運転へ戻していきますです。
では。

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