ごくささいな違いについて
朝。
雪が降っている。
あいかわらず、緊迫は続いているのだが、今日は太極拳へ行ってきた。
ブック・○フに寄ったものの、たいした収穫はなく、でもお昼になったので、その辺で食事することにする。
このあたりは、一時期通っていた会社があったので、いくつか店を知っている。
一番行きたいのは、洋食のこじんまりしたレストランだったが、ちょっと離れている。
このままずっと駅まで歩いていって、Mへ入ろうかとも思うが、コーヒーはまずいし、ハンバーガーも食べたくなかった。
安易に流れるか、もう少し別な方向を行くか。
けっきょく寒いことだし、手打ちうどん屋さんへ行く。
ここのうどんは、太さがそろってない。手延べ?みたいで、こしがありつるつるとしている。
だしは、さぬきうどんのようにほぼ透明。
こんなに色がついてなくて、かつおの味がするのはすごいと思う。
はふはふと、上あごにやけどをしながらおうどんをすすると、体がすごく暖まる。
あー妥協しなくてよかった。
人生は常にちょっとした選択に迫られる。日々是選択。
そのとき、「ま、これでいいか」という選択ばかりしてると、やっぱりどうでもいい人間になるような気がする。
「(ちょっとがんばって、)やっぱり一番好きなもの」って選んでいけば、どんどん自分の好きな方向性へ近づける気がする。
その差は、いつもささいなものだ。
AかBか。
ささいなものが、いつのまにか体やアタマの中で大きな変化へと育っていくような気がする。
ちょうどそんなことを考えていて、午後読んだ本に、啓示のように光った文章を見つけた。
どうでもよいことでも、それをおざなりにしてしまえば全てが狂い始め、幾何学的な美しさは崩れ、だらしなく、みっともなくなってしまうからです。
『世界の終わりという名の雑貨店』 嶽本野ばら 小学館 より
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