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2004/09/25

2004マラソンリーディング

今日は新宿文化センターへマラソンリーディングを聞きに行った。
なぜマラソンかというと、15:00~20:00まで31名の朗読を聞く長丁場だかららしい。
途中で帰ろうかとも思っていたが、プログラムをみると最後の方が当然有名人ゲストの朗読がある。結局最後まで残って聞いていた。
座席は200席ほど。演者は短歌の歌人さんが多いが、詩、川柳、俳句など多少バラエティがある。いずれにせよ、自分の作品を自分で朗読する自作自演である。舞台は演者の要望か、椅子がでてきたり、スタンドマイクだったり。そのほかの大道具はいっさいない。最低限の照明と、音楽を使う人がときおりいるくらいのシンプルなスタイルである。

最初のパフォーマーは制服を着た女子学生だった。
短歌の旋律を全く感じさせずにささやくような声で読み上げてゆく。なかなかいい感じ。
それから絶叫型あり、意味不明型あり、数字の朗読あり、いろいろな個性が集う。

しかし朗読というのは、一瞬にしてことばが耳から耳へととおりすぎてしまうので、難解なことばは理解できないままとおりすぎていってしまうものだと痛感する。声だけで伝えるむずかしさがあると感じた。
聞いてるうちに、ゆっくり読む、2回繰り返す、などでそれらは技術で補完されるということがわかってくる。
また、BGMを使うのもいいが、たとえ洋楽でも歌詞があるのは、なんだか気になってしまう。
短歌だけより、散文をはさみながら読み上げるスタイルの方が、ふくらみというか適度な間合いができて、聞き取りやすい。

休憩は1時間に1回程度とりながらすすんだわけだが、あまりあきずに楽しむことができた。1人の持ち時間が5~10分程度でくるくる変わるからかもしれない。(そういえば、寄席もこんな感じだ。)
女性のやさしい声だと、ときおり意識をなくしそうになったが。(会場はかなり暗いのだ)
単に朗読といっても、ひとつのパフォーマンスであること。表現としては自由だが、聞く人を楽しませようという気持ち、確実にことばを届けること(理解してもらうくふう)が、最後の方のゲストの朗読から感じられたことだった。それは単なる自己表現だけじゃないと思った。

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